イタリア セリエB 12/12 15:00 11 [18] ペスカーラ v ヴィチェンツァ [16] W 2-3
イタリア セリエB 12/06 20:00 10 [14] ヴィチェンツァ v コゼンツァ [15] D 1-1
イタリア セリエB 12/02 17:00 3 [9] モンザ v ヴィチェンツァ [15] D 1-1
イタリア セリエB 11/28 13:00 9 [2] エンポリ v ヴィチェンツァ [16] D 2-2
イタリア セリエB 11/21 15:00 8 ヴィチェンツァ v キエーヴォ - Postponed
イタリア セリエB 11/07 18:00 7 [19] クレモネーゼ v ヴィチェンツァ [18] W 0-1
イタリア セリエB 10/31 15:00 6 [19] ヴィチェンツァ v ピサ [15] D 4-4
コッパ・イタリア 10/28 17:00 9 ウディネーゼ v ヴィチェンツァ L 3-1
イタリア セリエB 10/24 12:00 5 [13] SPAL v ヴィチェンツァ [19] L 3-2
イタリア セリエB 10/20 19:00 4 [18] ヴィチェンツァ v サレルニターナ [2] D 1-1
イタリア セリエB 10/17 12:00 3 モンザ v ヴィチェンツァ - Postponed
イタリア セリエB 10/03 16:15 2 [18] ヴィチェンツァ v ポルデノーネ [12] D 1-1
コッパ・イタリア 09/30 15:00 8 ヴィチェンツァ v プロパトリア W 3-2
イタリア セリエB 09/26 14:00 1 [19] ヴェネツィア v ヴィチェンツァ [13] L 1-0
欧州親善試合 09/18 14:00 - ヴィチェンツァ v スチロール W 1-0
欧州親善試合 09/12 18:45 - ヴィチェンツァ v モンザ D 1-1
欧州親善試合 09/09 15:00 - ACミラン v ヴィチェンツァ L 5-1
欧州親善試合 09/04 14:30 - ラツィオ v LRヴィチェンツァ・ヴィルタス L 3-2
欧州親善試合 08/29 17:00 - ウディネーゼ v ヴィチェンツァ L 3-2
欧州親善試合 08/28 15:30 - ヴィチェンツァ v ACフェラルピサロ W 3-0
イタリア セリエC - グループB 02/23 14:00 27 [13] チェゼーナ v ヴィチェンツァ [1] W 1-3
イタリア セリエC - グループB 02/16 16:30 26 [1] ヴィチェンツァ v ヴィルトゥス・ヴェローナ [13] D 0-0
イタリア セリエC - グループB 02/09 14:00 25 [12] ヴィスペーザロ v ヴィチェンツァ [1] D 1-1
イタリア セリエC - グループB 02/02 16:30 24 [1] ヴィチェンツァ v グッビオ [14] D 0-0
イタリア セリエC - グループB 01/26 16:30 23 [20] リミニ v ヴィチェンツァ [1] W 1-3
イタリア セリエC - グループB 01/22 19:45 20 [1] ヴィチェンツァ v モデナ [7] W 1-0
イタリア セリエC - グループB 01/19 16:30 22 [1] ヴィチェンツァ v カルピ [3] W 1-0
イタリア セリエC - グループB 01/12 16:30 21 [13] フェルマーナ v ヴィチェンツァ [1] D 0-0
イタリア セリエCカップ 12/18 19:00 3 ヴィチェンツァ v ACフェラルピサロ L 0-1
イタリア セリエC - グループB 12/15 16:45 19 [18] イモレーゼ v ヴィチェンツァ [1] W 0-3

LRヴィチェンツァL.R. Vicenza)は、イタリア・ヴィチェンツァを本拠地とするサッカークラブ。2022-23シーズンはセリエCに参加している。

History

1902年創設。1910-11シーズンにイタリア選手権に初めて参加し、決勝に進んだが、当時のイタリアで最高のチームのひとつであったプロ・ヴェルチェッリに敗れた。1920年代から1930年代は下位ディビジョンに所属し、1942-43シーズンに初めてセリエAに昇格した。同シーズンは最終節にトリノでユヴェントスを6-2で破り、それによって降格を免れた。

1946-47シーズンにはセリエAで5位となったが、その翌シーズンは21チーム中20位に沈み、セリエBに降格した。1950年代前半には財政難に直面したが、1953年にスキーオの羊毛会社ラネロッシにクラブが買収され、ラネロッシ・ヴィチェンツァ (Lanerossi Vicenza) に改名された。

1955年から1975年にかけてヴィチェンツァは一度もセリエAから落ちることなく、より名高いクラブを相手に悪戦苦闘を続けた。この時代のヴィチェンツァには、“気高きプロヴィンチャーレ” (Nobile Provinciale) というニックネームが付けられた。1963-64シーズンと1965-66シーズンに6位となり、1965-66シーズンはブラジル人FWのルイス・ヴィニシオが25ゴールで得点王に輝いた。

1975年にセリエBに降格したが、1976-77シーズンに優勝すると、翌1977-78シーズンのセリエAでは24ゴールを挙げて得点王となった若きパオロ・ロッシを擁して2位となった。このシーズンのチームにはレアル・ヴィチェンツァ (Real Vicenza) というニックネームが付けられた。ユヴェントスからロッシを完全移籍させるために、クラブの会長ジュゼッペ・ファリーナは、当時の最高移籍金額となる2600万リラを支払ったが、1979年にセリエB降格、さらに1981年にはセリエC1に降格した。

1980年代中盤、ロベルト・バッジョはこのクラブで自身のキャリアをスタートさせた。1985-86シーズン、セリエBで3位となってセリエA昇格を決めたが、第2次トトネロ(闇サッカー賭博)スキャンダルに関与したことへの処分として昇格が取り消された1986-87シーズンには、セリエC1降格が決まった。。

1990年にヴィチェンツァ・カルチョ (Vicenza Calcio) に改名された。1993年にセリエBに昇格、1995年にセリエAに昇格した。1995-96シーズンのリーグで9位、1997年のコッパ・イタリアではSSCナポリを合計スコア3-1で降して優勝した。コッパ・イタリア優勝により出場権を獲得した1997-98シーズンのカップウィナーズカップでは、準決勝でイングランドのチェルシーに敗れた。

1999年にセリエBに降格、2001年にセリエAに復帰した。2004-05シーズン、負ければセリエC1への降格が決まるセリエBの降格プレーオフにおいてトリエスティーナに敗れたが、イタリアサッカー連盟 (FIGC) がジェノアとペルージャを降格させたためセリエBに再登録された。

2018年1月18日、裁判により破産が決定した。前年の9月から給与の支払いが滞り1月に入ってからは選手からストライキを起こされていた。一時は4部降格の危機もあったが、プレーアウトの機会が認められ勝利し残留。クラブは新たなオーナーに移譲され、バッサーノ・ヴィルトゥス55STと合併しLRヴィチェンツァ・ヴィルトゥスという名称になった。

2021年、クラブからヴィルトゥスという名前が消えLRヴィチェンツァというクラブ名になった 。

ヴィチェンツァは、1902年に創設されたイタリアのサッカークラブである。セリエBに所属している。

クラブは、1910年にセリエAに昇格し、1911年に初優勝を果たした。その後、1913年、1914年、1928年にも優勝し、合計4回のセリエA制覇を誇っている。

しかし、1970年代にセリエBに降格し、その後はセリエAとセリエBを行き来するようになった。2017-18シーズンには、セリエCに降格したが、翌シーズンにはセリエBに復帰した。

ヴィチェンツァのホームスタジアムは、スタディオ・ロメオ・メンティである。収容人数は12,000人である。