イタリア セリエB 02/12 13:00 22 [20] ヴィチェンツァ v コゼンツァ [17] D 0-0
イタリア セリエB 02/05 15:15 21 [7] フロジノーネ v ヴィチェンツァ [19] L 2-0
イタリア セリエB 01/30 13:30 19 [20] ヴィチェンツァ v アレッサンドリア [16] W 2-1
イタリア セリエB 01/26 19:00 18 [3] レッチェ v ヴィチェンツァ [20] L 2-1
イタリア セリエB 01/23 15:15 20 [20] ヴィチェンツァ v チッタデッラ [9] D 3-3
イタリア セリエB 01/16 17:30 19 ヴィチェンツァ v アレッサンドリア - Postponed
イタリア セリエB 01/13 19:30 18 レッチェ v ヴィチェンツァ - Postponed
イタリア セリエB 12/26 14:00 19 ヴィチェンツァ v アレッサンドリア - Postponed
イタリア セリエB 12/20 19:30 18 レッチェ v ヴィチェンツァ - Postponed
イタリア セリエB 12/12 15:15 17 [20] ヴィチェンツァ v コモ [13] L 0-1
イタリア セリエB 12/03 19:30 16 [11] ペルージャ v ヴィチェンツァ [19] L 1-0
イタリア セリエB 11/30 19:30 15 [19] ヴィチェンツァ v ベネヴェント [5] L 2-3
イタリア セリエB 11/26 17:00 14 [18] クロトーネ v ヴィチェンツァ [19] W 0-1
イタリア セリエB 11/20 17:30 13 [19] ヴィチェンツァ v ブレシア [2] L 2-3
イタリア セリエB 11/06 13:00 12 [13] アスコリ v ヴィチェンツァ [19] L 2-1
イタリア セリエB 11/01 17:00 11 [16] パルマ v ヴィチェンツァ [19] L 1-0
イタリア セリエB 10/27 18:30 10 [19] ヴィチェンツァ v モンザ [11] D 1-1
イタリア セリエB 10/23 12:00 9 [12] テルナーナ v ヴィチェンツァ [19] L 5-0
イタリア セリエB 10/16 12:00 8 [19] ヴィチェンツァ v レッジーナ [10] L 0-1
イタリア セリエB 10/03 14:15 7 [19] ポルデノーネ v ヴィチェンツァ [20] W 2-4
イタリア セリエB 09/26 18:30 6 [20] ヴィチェンツァ v クレモネーゼ [11] L 0-1
イタリア セリエB 09/21 18:30 5 [13] SPAL v ヴィチェンツァ [19] L 3-2
イタリア セリエB 09/18 14:15 4 [17] ヴィチェンツァ v ピサ [2] L 1-3
イタリア セリエB 09/12 12:00 3 [18] コゼンツァ v ヴィチェンツァ [16] L 2-1
欧州親善試合 09/04 14:00 - アルツィニャーノ・ヴァルキアンポ v ヴィチェンツァ D 1-1
イタリア セリエB 08/28 16:00 2 [14] ヴィチェンツァ v フロジノーネ [11] L 0-2
イタリア セリエB 08/21 18:30 1 [5] チッタデッラ v ヴィチェンツァ [12] L 1-0
コッパ・イタリア 08/15 15:45 6 エンポリ v ヴィチェンツァ L 4-2
欧州親善試合 08/07 16:00 - サッスオーロ v ヴィチェンツァ L 3-1
欧州親善試合 07/30 18:00 - LRヴィチェンツァ・ヴィルタス v レッチェ L 0-1

LRヴィチェンツァL.R. Vicenza)は、イタリア・ヴィチェンツァを本拠地とするサッカークラブ。2022-23シーズンはセリエCに参加している。

History

1902年創設。1910-11シーズンにイタリア選手権に初めて参加し、決勝に進んだが、当時のイタリアで最高のチームのひとつであったプロ・ヴェルチェッリに敗れた。1920年代から1930年代は下位ディビジョンに所属し、1942-43シーズンに初めてセリエAに昇格した。同シーズンは最終節にトリノでユヴェントスを6-2で破り、それによって降格を免れた。

1946-47シーズンにはセリエAで5位となったが、その翌シーズンは21チーム中20位に沈み、セリエBに降格した。1950年代前半には財政難に直面したが、1953年にスキーオの羊毛会社ラネロッシにクラブが買収され、ラネロッシ・ヴィチェンツァ (Lanerossi Vicenza) に改名された。

1955年から1975年にかけてヴィチェンツァは一度もセリエAから落ちることなく、より名高いクラブを相手に悪戦苦闘を続けた。この時代のヴィチェンツァには、“気高きプロヴィンチャーレ” (Nobile Provinciale) というニックネームが付けられた。1963-64シーズンと1965-66シーズンに6位となり、1965-66シーズンはブラジル人FWのルイス・ヴィニシオが25ゴールで得点王に輝いた。

1975年にセリエBに降格したが、1976-77シーズンに優勝すると、翌1977-78シーズンのセリエAでは24ゴールを挙げて得点王となった若きパオロ・ロッシを擁して2位となった。このシーズンのチームにはレアル・ヴィチェンツァ (Real Vicenza) というニックネームが付けられた。ユヴェントスからロッシを完全移籍させるために、クラブの会長ジュゼッペ・ファリーナは、当時の最高移籍金額となる2600万リラを支払ったが、1979年にセリエB降格、さらに1981年にはセリエC1に降格した。

1980年代中盤、ロベルト・バッジョはこのクラブで自身のキャリアをスタートさせた。1985-86シーズン、セリエBで3位となってセリエA昇格を決めたが、第2次トトネロ(闇サッカー賭博)スキャンダルに関与したことへの処分として昇格が取り消された1986-87シーズンには、セリエC1降格が決まった。。

1990年にヴィチェンツァ・カルチョ (Vicenza Calcio) に改名された。1993年にセリエBに昇格、1995年にセリエAに昇格した。1995-96シーズンのリーグで9位、1997年のコッパ・イタリアではSSCナポリを合計スコア3-1で降して優勝した。コッパ・イタリア優勝により出場権を獲得した1997-98シーズンのカップウィナーズカップでは、準決勝でイングランドのチェルシーに敗れた。

1999年にセリエBに降格、2001年にセリエAに復帰した。2004-05シーズン、負ければセリエC1への降格が決まるセリエBの降格プレーオフにおいてトリエスティーナに敗れたが、イタリアサッカー連盟 (FIGC) がジェノアとペルージャを降格させたためセリエBに再登録された。

2018年1月18日、裁判により破産が決定した。前年の9月から給与の支払いが滞り1月に入ってからは選手からストライキを起こされていた。一時は4部降格の危機もあったが、プレーアウトの機会が認められ勝利し残留。クラブは新たなオーナーに移譲され、バッサーノ・ヴィルトゥス55STと合併しLRヴィチェンツァ・ヴィルトゥスという名称になった。

2021年、クラブからヴィルトゥスという名前が消えLRヴィチェンツァというクラブ名になった 。

ヴィチェンツァは、1902年に創設されたイタリアのサッカークラブである。セリエBに所属している。

クラブは、1910年にセリエAに昇格し、1911年に初優勝を果たした。その後、1913年、1914年、1928年にも優勝し、合計4回のセリエA制覇を誇っている。

しかし、1970年代にセリエBに降格し、その後はセリエAとセリエBを行き来するようになった。2017-18シーズンには、セリエCに降格したが、翌シーズンにはセリエBに復帰した。

ヴィチェンツァのホームスタジアムは、スタディオ・ロメオ・メンティである。収容人数は12,000人である。