欧州親善試合 07/24 14:00 - ヴィチェンツァ v カリアリ L 0-3
イタリア セリエB 05/10 12:00 38 [14] ヴィチェンツァ v ACレッジャーナ1919 [18] W 2-1
イタリア セリエB 05/07 12:00 37 [11] フロジノーネ v ヴィチェンツァ [14] D 1-1
イタリア セリエB 05/04 12:00 36 [12] ヴィチェンツァ v ブレシア [10] L 0-3
イタリア セリエB 05/01 12:00 35 [20] ヴィルトゥス・エンテッラ v ヴィチェンツァ [14] W 1-2
イタリア セリエB 04/20 17:00 35 ヴィルトゥス・エンテッラ v ヴィチェンツァ - Postponed
イタリア セリエB 04/17 12:00 34 [12] ヴィチェンツァ v レッチェ [2] L 1-2
イタリア セリエB 04/11 13:00 33 [12] レッジーナ v ヴィチェンツァ [11] L 3-0
イタリア セリエB 04/05 13:00 32 [18] アスコリ v ヴィチェンツァ [10] L 2-1
イタリア セリエB 04/02 17:00 31 [11] ヴィチェンツァ v チッタデッラ [6] W 1-0
イタリア セリエB 03/20 13:00 30 [14] ヴィチェンツァ v ペスカーラ [19] W 1-0
イタリア セリエB 03/16 16:00 29 [17] コゼンツァ v ヴィチェンツァ [14] D 1-1
イタリア セリエB 03/13 17:00 28 [13] ヴィチェンツァ v エンポリ [1] L 0-2
イタリア セリエB 03/08 18:00 27 [6] キエーヴォ v ヴィチェンツァ [14] W 1-2
イタリア セリエB 03/02 20:00 26 [15] ヴィチェンツァ v クレモネーゼ [13] W 3-1
イタリア セリエB 02/27 13:00 25 [10] ピサ v ヴィチェンツァ [14] D 2-2
イタリア セリエB 02/20 13:00 24 [12] ヴィチェンツァ v SPAL [7] D 2-2
イタリア セリエB 02/13 11:00 23 [4] サレルニターナ v ヴィチェンツァ [13] D 1-1
イタリア セリエB 02/09 18:00 22 [12] ヴィチェンツァ v モンザ [4] L 1-2
イタリア セリエB 02/06 17:00 21 [9] ポルデノーネ v ヴィチェンツァ [13] W 1-2
イタリア セリエB 01/29 20:00 20 [12] ヴィチェンツァ v ヴェネツィア [9] D 0-0
イタリア セリエB 01/23 13:00 19 [19] ACレッジャーナ1919 v ヴィチェンツァ [12] L 2-1
イタリア セリエB 01/19 18:00 8 [13] ヴィチェンツァ v キエーヴォ [7] D 1-1
イタリア セリエB 01/15 20:00 18 [13] ヴィチェンツァ v フロジノーネ [7] D 0-0
イタリア セリエB 01/04 20:00 17 [11] ブレシア v ヴィチェンツァ [14] W 0-3
イタリア セリエB 12/30 17:00 16 [14] ヴィチェンツァ v ヴィルトゥス・エンテッラ [20] L 0-1
イタリア セリエB 12/27 14:00 15 [8] レッチェ v ヴィチェンツァ [13] L 2-1
イタリア セリエB 12/22 18:00 14 [13] ヴィチェンツァ v レッジーナ [18] D 1-1
イタリア セリエB 12/19 13:00 13 [15] ヴィチェンツァ v アスコリ [19] W 2-1
イタリア セリエB 12/15 20:00 12 [9] チッタデッラ v ヴィチェンツァ [14] L 3-0

LRヴィチェンツァL.R. Vicenza)は、イタリア・ヴィチェンツァを本拠地とするサッカークラブ。2022-23シーズンはセリエCに参加している。

History

1902年創設。1910-11シーズンにイタリア選手権に初めて参加し、決勝に進んだが、当時のイタリアで最高のチームのひとつであったプロ・ヴェルチェッリに敗れた。1920年代から1930年代は下位ディビジョンに所属し、1942-43シーズンに初めてセリエAに昇格した。同シーズンは最終節にトリノでユヴェントスを6-2で破り、それによって降格を免れた。

1946-47シーズンにはセリエAで5位となったが、その翌シーズンは21チーム中20位に沈み、セリエBに降格した。1950年代前半には財政難に直面したが、1953年にスキーオの羊毛会社ラネロッシにクラブが買収され、ラネロッシ・ヴィチェンツァ (Lanerossi Vicenza) に改名された。

1955年から1975年にかけてヴィチェンツァは一度もセリエAから落ちることなく、より名高いクラブを相手に悪戦苦闘を続けた。この時代のヴィチェンツァには、“気高きプロヴィンチャーレ” (Nobile Provinciale) というニックネームが付けられた。1963-64シーズンと1965-66シーズンに6位となり、1965-66シーズンはブラジル人FWのルイス・ヴィニシオが25ゴールで得点王に輝いた。

1975年にセリエBに降格したが、1976-77シーズンに優勝すると、翌1977-78シーズンのセリエAでは24ゴールを挙げて得点王となった若きパオロ・ロッシを擁して2位となった。このシーズンのチームにはレアル・ヴィチェンツァ (Real Vicenza) というニックネームが付けられた。ユヴェントスからロッシを完全移籍させるために、クラブの会長ジュゼッペ・ファリーナは、当時の最高移籍金額となる2600万リラを支払ったが、1979年にセリエB降格、さらに1981年にはセリエC1に降格した。

1980年代中盤、ロベルト・バッジョはこのクラブで自身のキャリアをスタートさせた。1985-86シーズン、セリエBで3位となってセリエA昇格を決めたが、第2次トトネロ(闇サッカー賭博)スキャンダルに関与したことへの処分として昇格が取り消された1986-87シーズンには、セリエC1降格が決まった。。

1990年にヴィチェンツァ・カルチョ (Vicenza Calcio) に改名された。1993年にセリエBに昇格、1995年にセリエAに昇格した。1995-96シーズンのリーグで9位、1997年のコッパ・イタリアではSSCナポリを合計スコア3-1で降して優勝した。コッパ・イタリア優勝により出場権を獲得した1997-98シーズンのカップウィナーズカップでは、準決勝でイングランドのチェルシーに敗れた。

1999年にセリエBに降格、2001年にセリエAに復帰した。2004-05シーズン、負ければセリエC1への降格が決まるセリエBの降格プレーオフにおいてトリエスティーナに敗れたが、イタリアサッカー連盟 (FIGC) がジェノアとペルージャを降格させたためセリエBに再登録された。

2018年1月18日、裁判により破産が決定した。前年の9月から給与の支払いが滞り1月に入ってからは選手からストライキを起こされていた。一時は4部降格の危機もあったが、プレーアウトの機会が認められ勝利し残留。クラブは新たなオーナーに移譲され、バッサーノ・ヴィルトゥス55STと合併しLRヴィチェンツァ・ヴィルトゥスという名称になった。

2021年、クラブからヴィルトゥスという名前が消えLRヴィチェンツァというクラブ名になった 。

ヴィチェンツァは、1902年に創設されたイタリアのサッカークラブである。セリエBに所属している。

クラブは、1910年にセリエAに昇格し、1911年に初優勝を果たした。その後、1913年、1914年、1928年にも優勝し、合計4回のセリエA制覇を誇っている。

しかし、1970年代にセリエBに降格し、その後はセリエAとセリエBを行き来するようになった。2017-18シーズンには、セリエCに降格したが、翌シーズンにはセリエBに復帰した。

ヴィチェンツァのホームスタジアムは、スタディオ・ロメオ・メンティである。収容人数は12,000人である。