アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 04/28 18:30 | 2 | アルヘンティノス・ジュニオルス vs ベレス・サルスフィエルド | - | View | |
コパ・スダメリカーナ | 05/07 22:00 | 4 | ラシン・クラブ・デ・モンテビデオ vs アルヘンティノス・ジュニオルス | - | View | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 05/12 23:00 | 1 | アルヘンティノス・ジュニオルス vs ロサリオセントラル | - | View | |
コパ・スダメリカーナ | 05/15 00:30 | 5 | コリンチャンス vs アルヘンティノス・ジュニオルス | - | View | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 05/19 23:00 | 2 | ラシン・クラブ vs アルヘンティノス・ジュニオルス | - | View | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 05/26 23:00 | 3 | アルヘンティノス・ジュニオルス vs リーベルプレート | - | View |
コパ・スダメリカーナ | 04/24 00:30 | 3 | [3] アルヘンティノス・ジュニオルス v コリンチャンス [1] | W | 1-0 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 04/20 18:30 | 3 | [2] アルヘンティノス・ジュニオルス v ディフェンサ・イ・フスティシア [3] | W | 4-3 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 04/15 23:00 | 14 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v バラカスセントラル [2] | D | 3-3 | |
コパ・スダメリカーナ | 04/09 22:00 | 2 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v ラシン・クラブ・デ・モンテビデオ [3] | L | 0-3 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 04/05 22:30 | 13 | [5] ベレス・サルスフィエルド v アルヘンティノス・ジュニオルス [1] | D | 0-0 | |
コパ・スダメリカーナ | 04/02 22:00 | 1 | クラブナシオナル v アルヘンティノス・ジュニオルス | W | 2-3 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 03/29 00:00 | 12 | [7] インスティトゥートACコルドバ v アルヘンティノス・ジュニオルス [2] | W | 1-2 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 03/20 00:15 | 11 | [5] アルヘンティノス・ジュニオルス v ロサリオセントラル [8] | W | 3-0 | |
アルゼンチンカップ | 03/15 23:00 | 6 | アルヘンティノス・ジュニオルス v ヒムナシア・イ・ティロ | W | 2-1 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 03/10 20:00 | 10 | [11] ウラカン v アルヘンティノス・ジュニオルス [3] | D | 1-1 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 03/06 20:00 | 9 | [6] アルヘンティノス・ジュニオルス v ヒムナシア・ラ・プラタ [9] | W | 2-0 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 03/02 22:15 | 8 | [5] CAインディペンデント v アルヘンティノス・ジュニオルス [2] | L | 2-1 |
Total | Home | Away | |
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Matches played | 55 | 29 | 26 |
Wins | 21 | 14 | 7 |
Draws | 18 | 9 | 9 |
Losses | 16 | 6 | 10 |
Goals for | 74 | 46 | 28 |
Goals against | 65 | 32 | 33 |
Clean sheets | 17 | 9 | 8 |
Failed to score | 14 | 6 | 8 |
アソシアシオン・アトレティカ・アルヘンティノス・ジュニアーズ(スペイン語: Asociación Atlética Argentinos Juniors)は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスのラ・パテルナル地区を本拠地とするサッカークラブである。
1970年代にディエゴ・マラドーナなどが、1980年代にクラウディオ・ボルギやフェルナンド・レドンドなどがアルヘンティノスからプロデビューし、やがてビッグクラブへと羽ばたいていった。また、フアン・ロマン・リケルメやエステバン・カンビアッソも、アルヘンティノスの下部組織でプレーした経験がある。1985年にはコパ・リベルタドーレスで優勝してインターコンチネンタルカップに出場した。
アルヘンティノスの起源は1886年まで遡る。アメリカに端を発する社会主義的着想によって、数千マイル離れたアルゼンチンにロス・マルティレス・デ・チカゴと呼ばれるクラブが設立された。その18年後、ロス・マルティレス・デ・チカゴはソル・デ・ビクトリアと合併してアソシアシオン・アトレティカ・イ・フトゥボリスティカ・アルヘンティノス・ウニードス・デ・ビジャ・クレスポが誕生したが、この長大なクラブ名はクラブエンブレム決定の際に問題となり、アソシアシオン・アトレティカ・アルヘンティノス・ジュニアーズ (Asociacion Atletica Argentinos Juniors) に短縮された。それまでの緑色と白色のユニフォームは、社会主義のシンボルカラーに起因する赤色と黒色のストライプに変更された。1921年にプリメーラ・ディビシオンに初昇格し、トップリーグで16シーズンプレー。しかし1930年代半ばにクラブ存続の危機に陥ると、スタジアムからの立ち退きを命じられ、クラブ会員はかろうじて100人を超える程度まで減少した。
1950年代に指揮を執ったフランシスコ・ファンディーノ監督が目指したスタイリッシュなパスサッカーは、El Tifón de Boyacá(ボジャカの台風)として知られた。アルヘンティノスは名声を手に入れ、ディエゴ・マラドーナなどの若手有望選手を惹きつけた。1976年には15歳のマラドーナがトップチームデビューし、1980年にはリーグ戦で準優勝。マラドーナは4シーズン連続でリーグ得点王に輝いたが、不思議なことに、アルヘンティノスに黄金期が訪れたのは彼のボカ・ジュニアーズ移籍後であった。ロベルト・サポリティ監督に率いられたメトロポリターナ1984ではプロ化後初のリーグ優勝を飾り、クラウディオ・ボルギ、セルヒオ・バティスタ、ペドロ・パスクッリなどがマラドーナらとともに2年後の1986 FIFAワールドカップ優勝メンバーとなった。ホセ・ジュディカ監督が率いたナシオナル1985ではクラブ2度目のリーグ優勝を果たし、同年のコパ・リベルタドーレスでは決勝でアメリカ・デ・カリ(コロンビア)を破って初優勝した。インターコンチネンタルカップではミシェル・プラティニ擁するユヴェントスFC(イタリア)と対戦したが、PK戦の末に敗れて準優勝に終わった。
1988年11月20日のラシン・クラブ戦はPK戦にもつれ込んだが、このPK戦でのキッカーの人数は世界記録となった。両クラブ合わせて44人がPKを蹴り、アルヘンティノスが20-19でPK戦に勝利した。
1990年代には再び財政問題に直面し、1996年にはプリメーラB・ナシオナル(2部)降格。フアン・ロマン・リケルメやエステバン・カンビアッソなど若手有望株の売却を余儀なくされた。彼らはアルヘンティノスの下部組織でプレーしていたが、リケルメはボカ・ジュニアーズの下部組織に移った後にボカからデビューし、カンビアッソはレアル・マドリードと契約した後にローン先のCAインデペンディエンテからトップリーグデビューした。再びプリメーラ・ディビシオンに昇格するものの、2002年にもプリメーラB・ナシオナルに降格して2004年まで在籍。クラブ存続の危機に瀕したが、若手選手育成に力を注いで危機を脱した。2003年12月26日にホームスタジアムが再オープンすると、2008年のコパ・スダメリカーナでは準決勝に進出し、クラブのレジェンドであるクラウディオ・ボルギ監督の下でクラウスーラ2010を制した。