スケジュール

コパ・リベルタドーレス 05/07 22:00 4 ロサリオセントラル vs アトレチコミネイロ - View
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル 05/12 23:00 1 アルヘンティノス・ジュニオルス vs ロサリオセントラル - View
コパ・リベルタドーレス 05/16 22:00 5 ロサリオセントラル vs カラカス - View
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル 05/19 23:00 2 ロサリオセントラル vs CAティグレ - View
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル 05/26 23:00 3 デポルティーボ・リエストラ vs ロサリオセントラル - View
コパ・リベルタドーレス 05/28 22:00 6 ペニャロール vs ロサリオセントラル - View

結果

コパ・リベルタドーレス 04/23 22:00 3 [4] カラカス v ロサリオセントラル [3] D 1-1
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 04/17 22:30 14 [11] ロサリオセントラル v デポルティーボ・リエストラ [12] D 1-1
コパ・リベルタドーレス 04/10 22:00 2 [1] アトレチコミネイロ v ロサリオセントラル [2] L 2-1
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 04/08 00:00 13 [6] リーベルプレート v ロサリオセントラル [10] L 2-1
コパ・リベルタドーレス 04/04 22:00 1 ロサリオセントラル v ペニャロール W 1-0
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 03/28 23:00 12 [8] ロサリオセントラル v バラカスセントラル [5] L 1-2
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 03/20 00:15 11 [5] アルヘンティノス・ジュニオルス v ロサリオセントラル [8] L 3-0
アルゼンチンカップ 03/14 22:45 6 ロサリオセントラル v CAドウグラスハイグ W 5-4
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 03/10 00:30 10 [9] ロサリオセントラル v インスティトゥートACコルドバ [4] W 1-0
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 03/06 00:30 9 [7] ベレス・サルスフィエルド v ロサリオセントラル [8] L 1-0
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 03/01 00:15 8 [11] ウラカン v ロサリオセントラル [7] L 2-0
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル 02/25 22:45 7 [5] ニューウェルズ v ロサリオセントラル [9] W 0-1

Stats

 TotalHomeAway
Matches played 60 25 35
Wins 21 14 7
Draws 22 9 13
Losses 17 2 15
Goals for 65 40 25
Goals against 60 18 42
Clean sheets 22 11 11
Failed to score 19 4 15

クルブ・アトレティコ・ロサリオ・セントラル(スペイン語: Club Atlético Rosario Central)は、アルゼンチン・サンタフェ州・ロサリオをホームタウンとするサッカークラブである。リーガ・プロフェシオナル所属。

History

黎明期

格子模様のジャージを着用していた1903年のチーム

1889年12月24日、セントラル・アルゼンチン鉄道のイギリス人労働者達によって、セントラル・アージェンティン・レールウェイ・アスレティック・クラブ (Central Argentine Railway Athletic Club) として設立された。1904年、セントラル・アルゼンチン鉄道とブエノスアイレス鉄道が統合され、クラブの名称が現在のクルブ・アトレティコ・ロサリオ・セントラル (Club Atlético Rosario Central) に変更された。当初のユニフォームカラーは赤と白だったが、その後青と白の格子模様を経て、現在の青と黄色の縦縞に落ち着いた。

アマチュアリーグ時代(1905年-1930年)

1905年、ロサリオ市のクラブらによってロサリオサッカーリーグが設立され、ロサリオ市のサンティアゴ・ピナスコ市長がトロフィーを寄贈したため、初回大会はコパ・サンティアゴ・ピナスコと名付けられた。5月21日に行われたCAデル・ロサリオとの初戦には3-1で勝利し、6月に行われたノッティンガム・フォレストFC(イングランド)との親善試合には0-5で敗れた。1908年には初のリーグ優勝を果たし、1913年にはリーグから脱退したが、1914年に復帰すると20試合を戦って19勝1分(99得点10失点)の圧倒的な成績を残し、51得点を挙げたハリー・ハジェスが得点王に輝いた。1915年と1916年にも優勝して3連覇を達成。1919年の優勝が最後のタイトルとなり、1920年に再びリーグを脱退した。脱退するやいなやアマチュア協会に加わったが、結局アマチュア協会に意見を異にしたセントラルなどのクラブは、1921年に再びロサリオサッカーリーグに復帰した。1923年、1927年、1928年、1930年にリーグ優勝し、ロサリオサッカーリーグの最多優勝クラブとなった。

1915年には、ブエノスアイレスとロサリオの各リーグ優勝クラブによって争われるコパ・イバルグレンに出場し、ブエノスアイレス王者のラシン・クラブを3-1で破って優勝した。同年のコパ・デ・オノール・ムニシパリダ・デ・ブエノスアイレスではCAインデペンディエンテを1-0で破って優勝し、コパ・デ・コンペテンシア・ジョッキー・クラブでは再びラシンを破って優勝した。1920年のコパ・デ・コンペテンシアではCAアルマグロを破って優勝した。

プロリーグ時代(1931年-現在)

2度目のプリメーラ昇格を果たした1951年のチーム

1931年、アルゼンチンではプロリーグ化が行われ、ロサリオでは初のプロリーグを組織するためにロサリオサッカー協会(スペイン語版)が設立された。サンタフェ州知事のルシアーノ・モリーナスに因み、コパ・ナカシオ・ビラはトルネオ・ゴベルナドール・ルシアーノ・モリーナスという名称に変更された。セントラルは1937年と1938年にリーグ優勝した。

1939年、セントラルとライバルのニューウェルズ・オールドボーイズはアルゼンチンサッカー協会に対してリーグ加盟の承認を求め、両クラブともプリメーラ・ディビシオン(1部)に受け入れられた。1941年のセントラルは20試合を戦って6勝しか挙げられず、プリメーラB(当時2部相当)に降格したが、プリメーラBで過ごしたのはわずか1シーズンであり、1942年には25勝4敗の成績でプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした。1950年には再びプリメーラB降格となったが、前回同様に降格から1年で昇格を果たした。

初のリーグ優勝

アンヘル・ラブルナ監督が率いたナシオナル1971ではプレーオフに出場し、準決勝ではアルド・ポイがダイビングヘッドで決勝点を決めてニューウェルズを破った。この得点は今日でもサポーターに記憶されており、12月19日にはポイが参加する祝賀行事が行われることもある。プレーオフ決勝ではCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロを破り、初のプリメーラ・ディビシオン優勝を果たした。2年後のナシオナル1973では、カルロス・グリグオル監督が指揮して2度目のリーグ優勝を果たした。この時のチームの主力選手にはポイ、カルロス・アイマール、ホルヘ・ソラーリなどがおり、カルロス・ビアスット、ホルヘ・ゴンサーレス、アウレリオ・パスクティーニ、ダニエル・キリェール、マリオ・キリェール、アイマール、エドゥアルド・ソラーリ、ポイ、ラモン・ボベーダ、ロベルト・カブラル、ダニエル・アリコがレギュラーを務めた。1974年にはインスティトゥートACコルドバからストライカーのマリオ・ケンペスを獲得し、ケンペスはバレンシアCF(スペイン)移籍後の1978 FIFAワールドカップで得点王に輝く活躍を見せた。

1980年代

1970年代半ば以降は7年間無冠が続いたが、アンヘル・トゥリオ・ソフ監督が指揮したナシオナル1980で久々の優勝を飾った。この時のセントラルはピッチ上で優雅なプレーを見せ、「ラ・シンフォニカ」(オーケストラのシンフォニー)と呼ばれた。ラシン・デ・コルドバと対戦した決勝では、ファーストレグで5-0と快勝し、セカンドレグに0-2と敗れたものの、得失点差でリーグ優勝を決めた。ダニエル・カルネバーリ、フアン・カルロス・ギエルメッティ、エドガルド・バウサ、オスカル・クライジャチッチ、ホルヘ・ガルシア、ホセ・ガイタン、ダニエル・スペランディオ、エドゥアルド・バカス、フェリクス・オルテ、ビクトル・マルチェッティ、ダニエル・テグリアがレギュラーだった。その後何年かは低調なシーズンが続き、1984年にプリメーラB降格となったが、ペドロ・マルチェッタ監督が采配を振るったチームはわずか1年でプリメーラ・ディビシオン復帰を果たした。ソフ監督が再び指揮を取った1986-87シーズンには4度目のリーグ優勝を果たした。この時のチームのレギュラーはアレハンドロ・ラナーリ、エルナン・ディアス、ホルヘ・バルビス、バウサ、ペデルネーラ、オマール・パルマ、アデルキ・コルナグリア、ロベルト・ガスペリーニ、オスバルド・エスクデロ、フェルナンド・ランシデイ、ウーゴ・ガジョーニだった。

1990年代以降

1990年代最初の数年間は国内リーグで低調な成績に終わったが、1995年のコパCONMEBOLで優勝を果たした。今日においても、この年のコパCONMEBOLはサンタフェ州のクラブが獲得した唯一の国際タイトルである。アトレチコ・ミネイロ(ブラジル)戦ではアウェーでのファーストレグに0-4で敗れたが、ホームでのセカンドレグに4-0で勝利し、PK戦に4-3で勝利したロサリオが勝ち上がった。1997年11月23日のロサリオ・ダービーには4-0で勝利したが、ニューウェルズはその試合の後半途中に試合を放棄したため、毎年11月23日は"Dia del abandono"(逃亡者の記念日)とされ、セントラルのサポーターがお祝いをしている。2000年代後半には成績が低迷し、2009-10シーズン後に行われた昇降格プレーオフではCAオール・ボーイズと対戦したが、2試合合計1-4で敗れてプリメーラB・ナシオナル(2部)に降格した。この際、オラシオ・ウサンディサーガ会長の経営手腕が疑問視され、サポーターから殺害予告を受けたため、ウンディサーガはスペインに逃避した。その後、会長選挙が行われてノルベルト・エスペシアーレが新会長に就任した。2012-13シーズン開幕時点でコパ・リベルタドーレスには10度出場しており、ボカ・ジュニアーズ、CAリーベル・プレート、CAインデペンディエンテ、CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロに次いでアルゼンチン5位タイ(エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタやCAベレス・サルスフィエルドと同数)の出場回数を誇る。

ロサリオセントラルは、アルゼンチン・サンタフェ州ロサリオを拠点とするサッカークラブである。1889年に創設され、アルゼンチンのトップリーグであるプリメーラ・ディビシオンに所属している。

ロサリオセントラルは、アルゼンチン屈指の名門クラブであり、国内リーグを4回、コパ・アルヘンティーナを1回、コパ・リベルタドーレスを1回、インターコンチネンタルカップを1回制している。また、南米選手権(現コパ・アメリカ)でも優勝1回を誇る。

ロサリオセントラルのホームスタジアムは、エスタディオ・ヒガンテ・デ・アロジートである。収容人数は41,654人で、アルゼンチンでは6番目の規模を誇る。

ロサリオセントラルのライバルクラブは、ニューウェルズ・オールドボーイズである。両チームの対戦は「クラシコ・ロサリオ」と呼ばれ、アルゼンチンで最も熱いダービーマッチの一つである。

ロサリオセントラルは、多くの名選手を輩出してきた。その中には、マリオ・ケンペス、アベル・バルダーノ、ロベルト・アジャラ、アンヘル・ディ・マリアなどがいる。