サンダーランド・アソシエーション・フットボール・クラブ(Sunderland Association Football Club、イギリス英語発音: ( 音声ファイル)地元では )は、イングランド北東部・タイン・アンド・ウィア州サンダーランドをホームタウンとするプロサッカークラブ。愛称はブラック・キャッツ(Black Cats)。2022-23シーズンからはイングリッシュ・フットボールリーグのEFLチャンピオンシップに在籍している。

History

創設

1879年10月17日、サンダーランドで学校の教師をしていたグラスゴー生まれのジェームズ・アランが、「サンダーランド地区教員サッカークラブ(Sunderland and District Teachers Association Football Club)」として設立した。翌年(1880年)、10月16日に名称を「サンダーランド教員サッカークラブ(Sunderland Teachers Association football Club)」に変更し、その後クラブの財政難を緩和させるため、教員以外からも広くメンバーを募ったことで「サンダーランドAFC」に改編された。

1900年代

サンダーランドは1890-91シーズンにフットボールリーグに加盟すると、加盟後の活躍からリーグ創設者のウィリアム・マグレガーに「素晴らしいタレントを揃えたチームだ」と賞賛される。1892年から1902年の間に、リーグ優勝3回・準優勝3回と好成績を残した。1913年には11年ぶりのリーグ優勝を果たしたが、FAカップではアストン・ヴィラに1-0で敗北しダブルは逃した。

1935-36シーズンに6度目のリーグ優勝。初のFAカップを獲得したのは1937年で、決勝でプレストン・ノースエンドを3-1で破り優勝を飾った。

1937年のFAカップ優勝

第二次世界大戦後、クラブの財政が著しく悪化する。会長と3人の役員が財政面の不正を犯して1957年に辞任し、5000万ポンドという前例のない罰金を受けた。そのせいもあり1957-58シーズンは22クラブ中21位に終わり、フットボールリーグ加盟後68年目にして初めて降格を経験した。

1973年、サンダーランドは2部に在籍しながらFAカップ決勝に進出すると、決勝でリーズ・ユナイテッドを1-0で破り2度目のFAカップ優勝を果たした。サンダーランドの優勝以降、トップディビジョンに在籍していないチームがFAカップで優勝したのは1976年のサウサンプトンのみである。1985年には初めてリーグカップの決勝に進出したが、ノリッジに1-0で敗れ優勝を逃した。リーグカップの決勝に進出したのはこの1度のみである(2018年現在)。

1986-87シーズンは22クラブ中20位に終わって3部に降格したが、翌シーズンに優勝し、1シーズンで2部復帰を果たす。1992年には、再び2部に在籍しながらFAカップの決勝に進出したが、決勝でリヴァプールに2-0で敗れ、1973年の再現とはならなかった。

1997年、サンダーランドは99年間使用したロッカー・パークからスタジアム・オブ・ライトに本拠地を移した。スタジアムの収容人数が30,000人から42,000人に増加したことでクラブの財政状況も好転し、1999年、当時の最多記録となる勝ち点105を獲得して2部優勝を果たし、1部に復帰した。

スタジアム・オブ・ライト

2000年代

2000年代前半、サンダーランドは1部と2部の往復を繰り返すこととなる。プレミアリーグ(1部)復帰後の1999-00、2000-01シーズンでは2シーズン連続で7位に入ったが、2003年に当時の最少リーグ記録となる勝ち点19で最下位に終わると、再び2部に降格。ミック・マッカーシーの下で2005年に2部で優勝し、1年でプレミアリーグに復帰できたものの、翌年には再び最少記録を更新する勝ち点15で2部に降格した。

2006年7月、ナイアル・クインを代表とするドラマビル・コンソーシアムがサンダーランドを買収し、クインが会長に就任した。開幕直後はクインが監督も兼任したが、2部で開幕から4連敗を喫すなど中々勝利することができなかったため、同年8月に現役引退直後からオファーしていたロイ・キーンが監督に就任した。キーンはチームを建て直し、チームは27勝7分12敗の勝ち点88で2部を優勝。バーミンガム・シティと共にプレミアリーグ復帰を果たした。

2007-08シーズン、プレミア復帰後初めて迎えた試合はホームのトッテナム・ホットスパー戦で、試合は後半ロスタイムのマイケル・チョプラのゴールで1-0で勝利した。しかし2008年12月4日、その後の成績不振の責任を取りロイ・キーンは辞任。残りのシーズンはリッキー・スブラジアが暫定的に指揮を執ることとなった。

2009-10シーズンにスティーヴ・ブルースが監督に就任したが、2011年11月30日に成績不振で解任。マーティン・オニールが新監督に就任したほか、2013年10月8日にはグスタボ・ポジェが新監督に就任した。2016-17シーズンからはかつてマンチェスター・ユナイテッドで指揮を取ったことのあるデイヴィッド・モイーズが監督に就任したが、昨シーズン17位の不調を引きずり、降格圏から脱出することができなかった。2017年4月29日のボーンマス戦で0-1で敗れたことにより、10年ぶりにプレミアリーグからの降格が決まった。

10年ぶりの2部で迎えた2017-18シーズンは、降格に伴い主力が流出したことと前シーズンからの不振を引きずり、開幕14試合で1勝しかできず、2017年10月31日、ボルトン・ワンダラーズにホームで3-3で引き分け、グレイソン監督を解任した。 11月19日、浮上に望みを賭けて元ウェールズ代表監督のクリス・コールマンが監督に就任した ものの、浮上のきっかけを掴めずシーズンの大半を降格圏で過ごし、2018年4月21日に行われた第44節、残留の直接のライバルであったバートン・アルビオンに敗れて降格圏の22位以下が確定した。最終的にリーグ最下位でシーズンを終え、EFLリーグ1(3部)へ降格となった。3部への降格は1987-88シーズン以来、実に30年ぶりであった。2季連続で降格となった2018年4月、イーストリーFCで会長を務めるスチュワート・ドナルドが率いるコンソーシアムへクラブは売却され、コールマン監督は解任された。

2018年5月25日、セント・ミレンの監督だったジャック・ロスが2年契約で監督に就任した 。30年ぶりの3部で迎えた2018-19シーズンは5位で昇格プレーオフに回り、準決勝でポーツマスを破ったものの、 決勝でチャールトン・アスレティックに1-2で敗れ昇格を逃した。

2020年7月18日、スチュワート・ドナルドが会長職を辞任したと発表した。更に同年11月29日に成績不良によりフィル・パーキンソン監督が解任となり、12月5日、リー・ジョンソンが監督に就任した。

2021年2月18日、フランス人のキリル・ルイ=ドレフュスが会長に就任。23歳での会長就任はイングランドサッカー史上最年少となる。

2022年5月21日にEFLリーグ1の昇格プレーオフにて優勝し、3季ぶりの昇格を果たした。

EFLチャンピオンシップ復帰初年度に6位に入り、昇格プレーオフに出場。同3位のルートン・タウンにホームで先勝するも、アウェーで敗れ、最終的にアウェーゴールの差で敗退した。

サンダーランドAFCは、イングランド・タイヌアンドウィアのサンダーランドを拠点に活動しているサッカークラブ。1879年7月17日にサンダーランド&ディストリクト教師サッカー協会として創設され、その後現在の名称に変更された。

サンダーランドは、リーグ優勝6回、FAカップ優勝2回、リーグカップ優勝1回のタイトルを獲得している。リーグ優勝は最後の1935-36シーズンまで遡り、その後はタイトルから遠ざかっている。また、FAカップでは1936-37年シーズンと1972-73年シーズンの2回優勝を果たしている。

本拠地は、1898年に開場したスタジアム・オブ・ライトである。収容人数は49,000人で、イングランドのサッカークラブの中では10番目に大きなスタジアムとなっている。

サンダーランドのライバルは、同じ北東イングランドを拠点とするニューカッスル・ユナイテッドである。両チームの間で行われるダービーマッチは「タイン・ウェア・ダービー」と呼ばれ、イングランドで最も激しいライバル関係の一つとして知られている。

サンダーランドは、数多くの著名な選手を輩出している。その中には、ボビー・マーチャム、レネ・アンティグア、ボビー・ストックトン、ジム・マキチェニー、ポール・シーリー、ケビン・フィリップス、ジョーダン・ヘンダーソン、パトリック・ファン・アーンホルトなどがいる。

サンダーランドは、イングランドのサッカー界における重要なクラブの一つである。その長い歴史と伝統、そして熱心なファンを持つことで知られている。