ラトビア ヴィルスリーガ 03/16 15:00 2 [7] FKイェルガヴァ v ヴェンツピルス [3] L 2-1
ラトビア ヴィルスリーガ 03/10 11:00 1 [3] ヴェンツピルス v FKスパルタクス [3] W 2-1
欧州親善試合 03/01 15:30 - モルデ v ヴェンツピルス W 1-2
欧州親善試合 02/28 15:30 - ヴェンツピルス v FKイェルブ L 0-1
欧州親善試合 02/25 15:00 - ヴェンツピルス v ランハイム W 3-1
欧州親善試合 02/22 15:30 - サルプスボルグ v ヴェンツピルス L 3-2
欧州親善試合 02/18 15:00 - ヴェンツピルス v ロストフ L 0-3
ワールドクラブ親善試合 02/02 11:00 - LASKリンツ v ヴェンツピルス - View
欧州親善試合 01/29 11:00 1 ブロマポイカルナ v ヴェンツピルス L 3-0
ワールドクラブ親善試合 01/26 14:30 - 天津TEDA v ヴェンツピルス W 1-4
欧州親善試合 01/24 15:00 1 FCノアシェラン v ヴェンツピルス D 1-1
欧州親善試合 01/21 15:00 1 CSKAモスクワ v ヴェンツピルス L 5-0
ラトビア ヴィルスリーガ 11/10 12:00 28 [2] ヴェンツピルス v メッタ/LU [7] W 4-1
ラトビア ヴィルスリーガ 11/04 12:00 27 [2] リガスFS v ヴェンツピルス [3] W 1-2
ラトビア ヴィルスリーガ 10/28 16:00 26 [1] リガFC v ヴェンツピルス [3] D 0-0
ラトビアカップ 10/24 17:15 1 リガFC v ヴェンツピルス L 5-4
ラトビア ヴィルスリーガ 10/20 12:00 25 [3] ヴェンツピルス v FKスパルタクス [5] D 1-1
ラトビア ヴィルスリーガ 10/07 14:00 24 [4] FKリエパジャ v ヴェンツピルス [3] W 0-1
ラトビア ヴィルスリーガ 09/29 12:00 23 [3] ヴェンツピルス v FKイェルガヴァ [6] W 2-0
ラトビア ヴィルスリーガ 09/23 13:00 22 [8] ヴァルミエラ v ヴェンツピルス [3] W 1-6
ラトビアカップ 09/19 13:00 2 ヴェンツピルス v リガスFS W 2-1
ラトビア ヴィルスリーガ 09/15 17:00 21 [7] メッタ/LU v ヴェンツピルス [3] W 0-2
ラトビア ヴィルスリーガ 09/01 12:00 20 [3] ヴェンツピルス v リガスFS [1] W 2-0
ラトビア ヴィルスリーガ 08/24 14:00 19 [2] ヴェンツピルス v リガFC [3] L 0-1
ラトビア ヴィルスリーガ 08/19 15:00 18 [4] FKスパルタクス v ヴェンツピルス [3] W 1-2
ラトビア ヴィルスリーガ 08/13 15:00 17 [3] ヴェンツピルス v FKリエパジャ [5] W 1-0
ラトビアカップ 08/06 16:00 3 FKリエパジャ v ヴェンツピルス W 0-1
UEFAヨーロッパリーグ予選 08/02 18:45 15 ボルドー v ヴェンツピルス L 2-1
ラトビア ヴィルスリーガ 07/29 15:00 16 [6] FKイェルガヴァ v ヴェンツピルス [2] W 0-3
UEFAヨーロッパリーグ予選 07/26 14:45 15 ヴェンツピルス v ボルドー L 0-1

FKヴェンツピルス (ラトビア語: Futbola Klubs Ventspils) は、ラトビア・ヴェンツピルスに本拠地を置くサッカークラブである。2017シーズンはヴィルスリーガ(1部)に在籍している。

日本人選手としては柴村直弥、佐藤穣、加藤康弘、斎藤陽介が在籍経験がある。

バルト海沿岸の都市ヴェンツピルスの人口は4.3万人だが、ラトビアで6番目に大きな都市である。ヴィルスリーガでは2006年、2007年、2008年、2011年の4回、ラトビヤス・カウスでは2003年、2004年、2005年、2011年の4回優勝している。ヴェンツピルス市における民族構成はラトビア人が47%、ロシア人が36%、ウクライナ人とベラルーシ人が5%だが、ヴェンツピルスのサポータークラブはメンバーの大多数がロシア人である。ラトビアの首都リガでは、スコントFCに対抗するクラブとしてヴェンツピルスの人気が高い。チームのマスコットキャラクターはオオヤマネコ。

History

1997年、ヴェンツピルスにある2つのサッカークラブ、FKヴェンタとFKナフタが合併してFKヴェンツピルスが誕生した。FKヴェンタは1960年代にラトビアサッカーを牽引したクラブのひとつである。2003年にはラトビアン・カップで初優勝し、2004年には同大会2連覇、2005年には3連覇を達成した。ヴィルスリーガはスコントFCが14シーズン連続で優勝するなど一強時代が続き、ヴェンツピルスは1997–98シーズンから8シーズン連続で2位もしくは3位となったが、優勝に届かないシーズンが続いた。しかし、2005年シーズン途中にウクライナ人のローマン・グリゴルチュク監督を招聘すると、2006年シーズンにはヴィルスリーガで初優勝。2004年シーズンに初優勝したリエパーヤス・メタルルグスとともに、クルゼメ地方のクラブの台頭を印象付けた。創設10周年となった2007年シーズンには2連覇を達成。2007年にはバルティックリーグの第1回大会に出場し、決勝でリエパーヤスとの同国対決に敗れたものの準優勝した。2008年の同大会では準決勝でFBKカウナス(リトアニア)に敗れたが、国内リーグでは2位リエパーヤスに勝ち点10、3位スコントに勝ち点11の大差を付けて3連覇を達成した。2011年のバルティックリーグ決勝もスコントとの同国対決となり、柴村直弥の得点などで120分を終えて1-1の同点だったが、PK戦5-6で敗れて準優勝に終わった。2012年5月17日、Sergei Podpaly監督が退任してJurģis Pučinsksが監督に就任した。

欧州カップ戦における歴史

1999-2000シーズンにはUEFAインタートトカップに初出場し、ヴォレレンガ・フォトバル(ノルウェー)を下した。2000年代には何度もUEFAカップに出場し、VfBシュトゥットガルト(ドイツ)、ローゼンボリBK(ノルウェー)、ブレンビーIF(デンマーク)、ニューカッスル・ユナイテッドFC(イングランド)などの名声あるクラブと対戦した。2004-05シーズンの予選2回戦ではブロンビー相手に2試合とも引き分けだったが、アウェーゴール差で上回って勝ち上がりを決めた。2006-07シーズンのニューカッスル・U戦ではセント・ジェームズ・パークで0-0と引き分けるなど、2試合合計0-1と接戦を演じた。2007-08シーズンにはクラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグの予選に出場。ザ・ニュー・セインツFC(ウェールズ)との予選1回戦ファーストレグ (2-3) ではVits Rimkusが同大会クラブ初得点を挙げ、セカンドレグ (2-1) ではJean-Paul NdekiとDeniss Kačanovsの得点で同大会初勝利を挙げた。2試合合計4-4となったが、アウェーゴール数で上回ったヴェンツピルスが勝ち上がりを決めた。予選2回戦ではイタリア人のジョバンニ・トラパットーニ監督率いるレッドブル・ザルツブルク(オーストリア)と対戦し、2試合合計0-7で大敗した。2008-09シーズンにもUEFAチャンピオンズリーグ予選に出場した。予選1回戦ではウェールズ王者のラネリーAFCに勝利したが、予選2回戦でSKブラン(ノルウェー)に敗れた。2009-10シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは予選3回戦でFC BATEボリソフ(ベラルーシ)に勝利。予選プレーオフでFCチューリッヒ(スイス)に敗れ、UEFAヨーロッパリーグのグループリーグに回ったが、ラトビアのクラブとして初めてUEFA主催大会のグループリーグに出場した。ヘルタ・ベルリン(ドイツ)、SCヘーレンフェーン(オランダ)、スポルティングCP(ポルトガル)と同組となり、3分3敗の最下位で大会を終えた。2010-11シーズンにはUEFAヨーロッパリーグ予選に出場したが、FKテテクス(マケドニア共和国)に敗れた。

ヴェンツピルスは、1997年創立のラトビアのサッカークラブ。ホームタウンはリガから北西140km、バルト海の港町、ヴェンツピルス。クラブ名の日本語での表記は統一されておらず、ヴェンツピルス、ヴェンツピルスFK、ヴェンツピルスFKなどが広く用いられている。

国内では2006年、2007年、2008年にリーグ戦3連覇を達成。また、2003年にはカップ戦でも初優勝を飾っている。クラブの歴史上、UEFAチャンピオンズリーグの出場経験はないが、UEFAヨーロッパリーグには9度出場しており、2009-10シーズンにはベスト32に進出している。また、バルト諸国のクラブが参加するバルトリーグでは、2009年の初制覇を皮切りに2010年、2013年、2014年の計4度の優勝経験を誇る。

2019年シーズンのヴェンツピルスはリーグ戦で12位に沈み、2006年以来続いていた1部リーグ在籍の歴史が途絶えた。クラブの経営状態も悪く、既にUEFAからの出場停止処分も受けていたため、いくつかの財政支援の申し出があったにもかかわらず、2020年3月20日にクラブ解散が正式に発表された。

2021年、健在だった下部組織のチームをトップチームとして再創した。