アイルランド U19リーグ | 08/10 13:00 | - | コークシティU19 v コーヴランブラーズU19 | W | 3-1 | |
アイルランド U19リーグ | 08/03 13:00 | - | コークシティU19 v ブレイワンダラーズU19 | W | 9-0 | |
アイルランド U19リーグ | 07/27 13:00 | - | コークシティU19 v リムリックFC | W | 6-0 | |
アイルランド U19リーグ | 06/30 13:00 | - | ブレイワンダラーズU19 v コークシティU19 | D | 1-1 | |
アイルランド U19リーグ | 05/11 13:00 | - | コークシティU19 v ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンU19 | W | 3-1 | |
アイルランド U19リーグ | 08/11 17:00 | - | コーヴランブラーズU19 v コークシティU19 | D | 1-1 | |
アイルランド U19リーグ | 08/04 13:30 | - | シャムロック・ローヴァーズU19 v コークシティU19 | W | 0-3 | |
アイルランド U19リーグ | 06/30 14:30 | - | コークシティU19 v ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンU19 | L | 1-2 | |
アイルランド U19リーグ | 05/27 13:00 | - | リムリックFC v コークシティU19 | W | 0-2 | |
アイルランド U19リーグ | 05/19 13:00 | - | コークシティU19 v キャビンティーリーU19 | W | 1-0 | |
アイルランド U19リーグ | 09/02 13:00 | - | シャムロック・ローヴァーズU19 v コークシティU19 | D | 2-2 | |
アイルランド U19リーグ | 08/27 11:05 | - | リムリックFC v コークシティU19 | D | 1-1 | |
アイルランドカップU19 | 07/26 18:33 | - | ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンU19 v コークシティU19 | L | 4-2 | |
アイルランド U19リーグ | 07/23 13:01 | - | ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンU19 v コークシティU19 | L | 4-0 | |
アイルランド U19リーグ | 07/12 18:00 | 1 | コークシティU19 v ゴールウェイ・ユナイテッドU19 | L | 1-3 | |
アイルランド U19リーグ | 07/09 13:00 | - | ウェックスフォード・ユース v コークシティU19 | W | 0-5 | |
UEFAユースリーグ | 11/23 14:00 | 8 | ローマU19 v コークシティU19 | L | 1-0 | |
UEFAユースリーグ | 11/02 19:00 | 8 | コークシティU19 v ローマU19 | L | 1-3 | |
UEFAユースリーグ | 10/19 18:00 | 7 | コークシティU19 v HJKヘルシンキU19 | W | 1-0 | |
UEFAユースリーグ | 09/28 16:00 | 7 | HJKヘルシンキU19 v コークシティU19 | D | 0-0 |
コーク・シティ・フットボール・クラブ(アイルランド語: Cumann Peile Chathair Chorcaí, 英語: Cork City Football Club)は、アイルランドのコークをホームタウンとするサッカークラブ。
1984年、1984-85シーズンのリーグ・オブ・アイルランド参入が決定すると、シニアチームはリー川河岸に戻り、コーク・シティFCが誕生した。チェルシーやコーク・セルティックFCで活躍した英雄であるボビー・タンブリングが最初の監督に就任したが、成績不振により13試合を指揮したのみで元ストーク・シティの選手であるトニー・アレンと交代した。クラブは元リヴァプールのテリー・マクダーモットの獲得を決定し、ファーストディビジョン降格を逃れた。しかし、カップ戦では2回戦でドロヘダ・ユナイテッドに敗れた。
1987年、元アイルランド代表のエイモン・オキーフが監督に就任すると、ターナーズ・クロスで開催された1987-88シーズンのリーグ・オブ・アイルランドカップ決勝戦でシャムロック・ローヴァーズに勝利し、クラブ初となる全国タイトルを獲得した。
1993年、1992-93シーズンのプレミアディビジョンで初優勝を飾った。レギュラーシーズンを終えた時点で、コーク・シティとボヘミアン、シェルボーンの3チームが勝ち点で並んだため、3チームによる優勝決定戦(2回戦総当たり戦)が行われた。しかし、1回目の優勝決定戦でも3チームが勝ち点で並んだため、さらに2回目(1回戦総当たり戦)が行われた。コーク・シティはボヘミアン、シェルボーンに連勝し、初優勝を決めた。
1998年、1997-98シーズンのFAIカップで初優勝を果たした。
2007年、クラブの所有権は投資会社Arkagaに売却された。2008年8月、クラブは財政問題に直面し、Examinership(アイルランド独特の法律)を適用された。同年10月、トム・コフランがクラブを引き継ぎ、Examinershipは終了したが、財政問題は解決できず、2010年にはリーグ・オブ・アイルランドのライセンス取得に失敗、最終的にクラブの持株会社Cork City Investment FC Limitedが裁判所によって解散を命じられた。解散後すぐにサポーター集団は新しいクラブの創設に動き、コーク・シティFORAS CO-OP(FORAS: Friends Of the Rebel Army Society)の名前でライセンスを取得し、ファーストディビジョンに参入した。同年6月、クラブはコーク・シティFCの名称権を買い取り、コーク・シティFCのクラブ名が復活した。
2011年、ファーストディビジョン最終節で首位シェルボーンと敵地で対戦し、後半アディショナルタイムにグラハム・カミンズが勝ち越しゴールを決める劇的な幕切れで逆転優勝を果たした。サポーターによって所有されるクラブは3シーズンぶりのプレミアディビジョン復帰を決めた。