ボリビア 前期リーグ | 12/14 21:00 | 21 | ボリバル v ホルヘ・ウィルステルマン | L | 1-0 | |
ボリビア 前期リーグ | 12/07 00:00 | 20 | ホルヘ・ウィルステルマン v ブルーミング | D | 1-1 | |
ボリビア 前期リーグ | 11/30 19:00 | 19 | サンノゼ v ホルヘ・ウィルステルマン | L | 2-0 | |
ボリビア 前期リーグ | 11/23 00:00 | 18 | ホルヘ・ウィルステルマン v スポーツボーイズ | L | 1-2 | |
ボリビア 前期リーグ | 11/14 00:00 | 17 | ホルヘ・ウィルステルマン v レアルポトシ | W | 1-0 | |
ボリビア 前期リーグ | 11/09 19:00 | 16 | ザ・ストロンゲスト v ホルヘ・ウィルステルマン | L | 4-1 | |
ボリビア 前期リーグ | 11/02 21:00 | 14 | オリエンテ・ペトロレロ v ホルヘ・ウィルステルマン | L | 2-0 | |
ボリビア 前期リーグ | 10/26 20:00 | 13 | ホルヘ・ウィルステルマン v クラブ・ウニベルシタリオ | W | 2-1 | |
ボリビア 前期リーグ | 10/22 19:00 | 12 | クラブ・ペトロレロ v ホルヘ・ウィルステルマン | D | 1-1 | |
ボリビア 前期リーグ | 10/19 19:00 | 11 | ナシオナルポトシ v ホルヘ・ウィルステルマン | W | 1-2 | |
ボリビア 前期リーグ | 10/05 21:00 | 10 | ホルヘ・ウィルステルマン v ボリバル | D | 0-0 | |
ボリビア 前期リーグ | 10/03 00:30 | 9 | ブルーミング v ホルヘ・ウィルステルマン | D | 1-1 | |
ボリビア 前期リーグ | 09/28 21:00 | 8 | ホルヘ・ウィルステルマン v サンノゼ | W | 2-1 | |
ボリビア 前期リーグ | 09/21 19:30 | 6 | レアルポトシ v ホルヘ・ウィルステルマン | L | 1-0 | |
ボリビア 前期リーグ | 09/15 20:00 | 5 | ホルヘ・ウィルステルマン v ザ・ストロンゲスト | D | 1-1 | |
ボリビア 前期リーグ | 08/31 19:00 | 4 | スポーツボーイズ v ホルヘ・ウィルステルマン | D | 1-1 | |
コパ・スダメリカーナ | 08/29 01:00 | 7 | ホルヘ・ウィルステルマン v ペニャロール | L | 0-4 | |
ボリビア 前期リーグ | 08/24 21:00 | 3 | ホルヘ・ウィルステルマン v オリエンテ・ペトロレロ | W | 2-0 | |
コパ・スダメリカーナ | 08/20 23:15 | 7 | ペニャロール v ホルヘ・ウィルステルマン | L | 2-0 | |
ボリビア 前期リーグ | 08/16 00:00 | 2 | クラブ・ウニベルシタリオ v ホルヘ・ウィルステルマン | W | 0-2 | |
ボリビア 前期リーグ | 08/10 21:00 | 1 | ホルヘ・ウィルステルマン v クラブ・ペトロレロ | D | 2-2 | |
ボリビア 後期リーグ | 04/08 00:00 | 13 | クラブアウロラ v ホルヘ・ウィルステルマン | L | 2-0 |
クラブ・デポルティーボ・ホルヘ・ウィルステルマン(Club Deportivo Jorge Wilstermann)は、ボリビアのコチャバンバを本拠地とするサッカークラブである。プリメーラ・ディビシオン・デ・ボリビアに所属。1949年、LAB航空に勤務している人たちのためのクラブとして設立された。クラブの名称は、ボリビア初の民間パイロットであるホルヘ・ウィルステルマン(西: Jorge Wilstermann)に由来する。
1949年、LAB航空に勤務している有志によってクラブが結成される。最初のクラブ名は「サン・ホセ・デ・ラ・バンダ(西: San José de la Banda)」であったが、後にボリビア人初の民間パイロットの名前をとり、現在の名称に変更。最初のクラブカラーは空をイメージした水色と白色であったが、後に赤色と青色に変更された。
1958年、1959年、1960年とラパスサッカー協会チャンピオンシップを3制覇(まだ全国規模のサッカーリーグが存在しておらず、これがボリビアにおけるサッカークラブのナンバーワンを決定する大会であった)。1960年、南米のサッカークラブのチャンピオンを決定するコパ・リベルタドーレスが開催されることになり、この大会にボリビアのクラブとして初めて参加した。このシーズンが第一黄金期である。
1972年、1973年と国内チャンピオンシップを2連覇。1973年のコパ・リベルタドーレスでは、グループリーグでアルゼンチンの強豪CAリーベル・プレートと同グループに入る。CAリーベル・プレートとの敵地ブエノスアイレスの試合で2-2の引き分けに持ち込む歴史的な一戦をもあったが、あと一歩でグループリーグ突破を逃した。この頃が第二黄金期である。
1977年、この年に始まったボリビア全国を対象とするプロサッカーリーグであるプリメーラ・ディビシオンに参加。1980年にはブラジル代表のジャイルジーニョを獲得し、1980年、1981年のプリメーラ・ディビシオンを連覇した。1981年のコパ・リベルタドーレスでは、グループリーグで同じ勝ち点で首位に並んだザ・ストロンゲストとプレーオフを戦うことになる。中立地のサンタ・クルス・デ・ラ・シエラのラモン・タウイチ・アグレラ競技場で開催されたこの試合に4-1で勝利しグループリーグを突破。準決勝リーグで敗退したが、このシーズンが第三黄金期に数えられる。