クラブ・デポルティーボ・ホルヘ・ウィルステルマンClub Deportivo Jorge Wilstermann)は、ボリビアのコチャバンバを本拠地とするサッカークラブである。プリメーラ・ディビシオン・デ・ボリビアに所属。1949年、LAB航空に勤務している人たちのためのクラブとして設立された。クラブの名称は、ボリビア初の民間パイロットであるホルヘ・ウィルステルマン(西: Jorge Wilstermann)に由来する。

History

1949年、LAB航空に勤務している有志によってクラブが結成される。最初のクラブ名は「サン・ホセ・デ・ラ・バンダ(西: San José de la Banda)」であったが、後にボリビア人初の民間パイロットの名前をとり、現在の名称に変更。最初のクラブカラーは空をイメージした水色と白色であったが、後に赤色と青色に変更された。

1958年、1959年、1960年とラパスサッカー協会チャンピオンシップを3制覇(まだ全国規模のサッカーリーグが存在しておらず、これがボリビアにおけるサッカークラブのナンバーワンを決定する大会であった)。1960年、南米のサッカークラブのチャンピオンを決定するコパ・リベルタドーレスが開催されることになり、この大会にボリビアのクラブとして初めて参加した。このシーズンが第一黄金期である。

1972年、1973年と国内チャンピオンシップを2連覇。1973年のコパ・リベルタドーレスでは、グループリーグでアルゼンチンの強豪CAリーベル・プレートと同グループに入る。CAリーベル・プレートとの敵地ブエノスアイレスの試合で2-2の引き分けに持ち込む歴史的な一戦をもあったが、あと一歩でグループリーグ突破を逃した。この頃が第二黄金期である。

1977年、この年に始まったボリビア全国を対象とするプロサッカーリーグであるプリメーラ・ディビシオンに参加。1980年にはブラジル代表のジャイルジーニョを獲得し、1980年、1981年のプリメーラ・ディビシオンを連覇した。1981年のコパ・リベルタドーレスでは、グループリーグで同じ勝ち点で首位に並んだザ・ストロンゲストとプレーオフを戦うことになる。中立地のサンタ・クルス・デ・ラ・シエラのラモン・タウイチ・アグレラ競技場で開催されたこの試合に4-1で勝利しグループリーグを突破。準決勝リーグで敗退したが、このシーズンが第三黄金期に数えられる。

ホルヘ・ウィルステルマンは、ボリビアのサッカークラブである。1949年に設立され、ボリビアサッカー連盟に加盟している。本拠地は、コチャバンバにあるエスタディオ・フェリックス・カプリーレス。クラブ名は、ボリビアの最初の飛行士であり、1919年に飛行機による南アメリカ大陸横断飛行を行ったホルヘ・ウィルステルマンに由来する。

ホルヘ・ウィルステルマンは、ボリビアリーグで13回の優勝経験を持つ強豪クラブである。また、コパ・リベルタドーレスにも出場しており、1960年に、ボリビアのクラブとして初めてベスト8に進出した。

ホルヘ・ウィルステルマンは、ボリビア代表にも多くの選手を輩出している。ボリビア代表の歴代最多出場記録を持つマルコ・サンディや、1994年のワールドカップに出場したカルロス・ボーラなどが、ホルヘ・ウィルステルマンでプレーしていたことがある。

ホルヘ・ウィルステルマンは、ボリビアを代表するサッカークラブであり、ボリビア国内では圧倒的な人気を誇る。