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ジローナFC(Girona Futbol Club, S.A.D.)は、スペイン・カタルーニャ州ジローナ県ジローナに本拠地を置くサッカークラブ。2023-24シーズンはリーガに所属している。
1930年7月23日創設。11,200人収容のエスタディ・モンティリビをホームスタジアムとしている。
国内で5部相当の地域リーグまで降格経験がある。2022-23シーズンに2度目の1部昇格を果たした。
ジローナにあったウニオ・エスポルティーバ・ジローナが経済的理由で解散したことから、1930年7月23日、ジローナのラ・ランブラ地区にあるカフェ「ノラ」でジローナFCが創設された。カタルーニャ選手権2部に登録し、コロニア・アルティガス戦が初のクラブ公式戦となった。1933-34シーズンにはテルセーラ・ディビシオン(当時3部相当、現4部相当)に在籍し、1位となってセグンダ・ディビシオン(2部)に昇格した。1934-35シーズンはセグンダ・ディビシオンで4位、1935-36シーズンは1位となり、セルタ・デ・ビーゴ、レアル・サラゴサ、アレナス・クルブ・デ・ゲチョ、レアル・ムルシア、ヘレスCDとともに昇格プレーオフに出場したが、昇格プレーオフでは下から2番目に終わり、プリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を逃した。1930年代後半のスペイン内戦後はセグンダ・ディビシオンやテルセーラ・ディビシオンに在籍した。
クラブ創設から約50年間はエスタディ・ビスタ・アレグレをホームスタジアムとしていたが、1968年にはエスタディ・モンティリビの建設が開始され、1970年からはモンティリビをホームスタジアムとしている。1977年、セグンダ・ディビシオンとテルセーラ・ディビシオンの間にセグンダ・ディビシオンB(現3部相当)が創設されると、1980年には初めてセグンダ・ディビシオンBに在籍し、3シーズンプレーした。1980-81シーズンには1933年以来初めて4部相当のリーグ(テルセーラ・ディビシオン)まで落ち、1982-83シーズン、1997-98シーズン、1998-99シーズンにはディビシオネス・レヒオナレス(地域リーグ、5部相当)でもプレーした。2006-07シーズン終了後にはセグンダ・ディビシオンB昇格を果たした。ラウール・アグネ監督に率いられた2007-08シーズンはセグンダ・ディビシオンBを1位で終え、昇格プレーオフではADセウタを1-0で破って49年ぶりにセグンダ・ディビシオン昇格を決めた。
2010年7月22日、ラモン・ビラロ、ジョアキン・ボアダス、ジョゼップ・スリムなどを中心とする地元の実業家グループが、ジョゼップ・グソ元会長やジョゼップ・ロフェスなどが所有していたクラブの株式の72%を取得し、ジローナFCの新オーナーとなった。ビラロが新会長に選出され、レクレアティーボ・ウエルバを率いていたアグネ監督がジローナ監督に復帰した。2010-11シーズンは前シーズンより順位を挙げて11位で終えたが、2012年1月14日、アグネ監督はレクレアティーボに0-3で敗れた後に解任された。2011年にはリザーブチームを新設し、パラウにあるピッチが天然芝に切り替えられた。2013年5月9日、経営陣は「El Girona FC también es mío」(ジローナFCもまた私のもの)というスローガンの下、資産のバランスを保つために、10ユーロの株式に分配される資本金の30万ユーロ増額が行なわれた。
2017年6月、プレミアリーグ、マンチェスター・シティの親会社であるシティ・フットボール・グループ(CFG)が、同クラブの指揮官であるジョゼップ・グアルディオラ監督の弟、ペレ・グアルディオラ氏が持つメディア・ベース社と契約に合意し、共同経営者となった。
2023年も残留が目標だったが、16節のアウェイ・バルセロナ戦で勝利して、シーズン折り返しまで3試合を残した時点で、13勝2分1敗で3度目の首位に立った。