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FCカール・ツァイス・イェーナ(ドイツ語: FC Carl Zeiss Jena)は、ドイツの中部、テューリンゲン州の都市イェーナを本拠地とするサッカークラブである。旧東ドイツにおける強豪クラブの一つであったが、東西ドイツ統一後は低迷が続き、一時はオーバーリーガ(5部)にまで降格した。現在はレギオナルリーガ(4部)所属。

History

1903年に光学機器メーカーカール・ツァイスによって創設された。第二次世界大戦後、ソ連の占領下で1946年に再興したクラブは、幾度かドイツ社会主義統一党の圧力によってクラブ名を変えつつ、1951年にDDRオーバーリーガに昇格を果たした。1960年、カップ戦でSCエンポル・ロストック(現在のハンザ・ロストック)に勝利して初優勝を果たした。

旧東ドイツのDDRオーバーリーガでは、1963年、1968年、1970年にリーグ制覇を果たした。その後も優勝は果たせなかったものの優秀な成績を収めており、また国内カップ戦でも4度の優勝を果たした。

現在のところ、クラブ史における最大の栄光は1981年のUEFAカップウィナーズカップ準優勝である。この時は、ASローマ、バレンシア、ベンフィカといった強豪を倒しての決勝進出であったが、決勝戦では同じく大番狂わせの果てに決勝までたどりついたディナモ・トビリシに1-2で敗れた。

東西ドイツの統一にともない、DDRオーバーリーガはブンデスリーガに編入されることになった。オーバーリーガの最終年に6位の成績を収めたイェーナは、ブンデスリーガ2部へと編入された。しかし、資本力に勝る旧西ドイツのクラブに圧倒され、1998年にはレギオナルリーガへ降格、さらに2001年にはレギオナルリーガで18位となり、オーバーリーガ(4部)にまで転落した。2005年、イェーナはオーバーリーガで優勝を果たし、レギオナルリーガへと昇格。続く2006年には、レギオナルリーガ2位により悲願のブンデスリーガ2部への復帰を果たした。

2006-07シーズンは、最終戦を残した段階で降格圏内の15位にいたが(同勝点で4チームが並んでおり、得失点差により2チームが降格圏内、2チームが残留圏内であった)、最終戦に勝った事で劇的な逆転で2部残留(13位)を決めた。

2007-08シーズン、ブンデスリーガ2部最下位となり3部へ降格。さらに2011-12シーズンには3部で18位となり、レギオナルリーガへ降格した。

カール・ツァイス・イェーナ(ドイツ語: FC Carl Zeiss Jena)は、ドイツ・テューリンゲン州イェーナに本拠地を置くサッカークラブ。1903年2月2日、カール・ツァイス社の従業員によって設立された。クラブカラーは青と白。

カール・ツァイス・イェーナは、1960年代から1980年代にかけて東ドイツを代表するクラブとして活躍。DDRオーバーリーガ(東ドイツ1部)を3回、FDGBポカール(東ドイツカップ)を4回制した。また、1980-81シーズンにはUEFAカップウィナーズカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)で準優勝を果たしている。

東ドイツ崩壊後、カール・ツァイス・イェーナはブンデスリーガ2部(2部)に所属。2008-09シーズンにはブンデスリーガ1部(1部)に昇格したが、1シーズンで降格した。現在はブンデスリーガ3部(3部)に所属している。

カール・ツァイス・イェーナは、東ドイツ時代の黄金期を支えた選手として、ユルゲン・シュパルヴァッサー、ペーター・デューク、ハンス=ユルゲン・クリーゲ、ラインハルト・ヘフナーなどがいる。また、西ドイツ代表としてワールドカップに出場したベルント・タウバーマンも、カール・ツァイス・イェーナでプレーしていた。