チェコ 1部リーグ | 04/28 13:00 | 30 | フラデツ・クラーロベー v スラヴィアプラハ | - | View |
SKスラヴィア・プラハ(チェコ語: Sportovní klub Slavia Praha)は、チェコ・プラハを本拠地とするサッカークラブ。1892年に設立され、同じくプラハをホームタウンとするACスパルタ・プラハとの対戦はプラハダービーとして知られており、勢力を二分している。
1892年11月2日、プラハのヴィノフラディ地区に住む医学生らによって、学生間でのスポーツ活動を増やすために設立された。設立当初は、主にサイクリングが主体のスポーツクラブだったが、1896年にサッカー部門を設立した。その年の3月25日、ACスパルタ「と初めての試合を行い、5-0で大勝した。4日後には、ACスパルタ・プラハとも試合を行い、0-0でのスコアレスドローだったが、ここから両者のライバル意識が始まった。1905年、スコットランドからジェイク・マッデンを監督に招聘し、当時最先端のサッカーを披露していたスコットランド流の戦術がスラヴィア・プラハにも持ち込まれた。
マッデンは、後に25年間も続くクラブ黄金期の基盤を形成し、国内試合169試合で134勝を、国際試合では429試合304勝を記録した。1930年、マッデンはスラヴィア・プラハの監督を退き、18年後の1948年に82歳で死去した。
1934 FIFAワールドカップでは、スラヴィア・プラハは8人の選手をチェコスロバキア代表に送り込んだ。クラブ2度目の黄金期は、ヨーゼフ・ビカンの獲得から始まった。ビカンが中心となったスラヴィア・プラハは、戦争により満足に戦力を揃えられないながらも、1940年から国内リーグ4連覇を果たした。しかし、1950年代に突入すると、徐々にクラブの成績は後退し始め、1960年まで実に2度の2部リーグ降格を味わった。
チョスロバキア分離後の1996年、48年ぶりに14回目となるリーグ優勝を果たした。この1995-96シーズン、スラヴィア・プラハは国際舞台でも成功を収め、UEFAカップではベスト4に進出。クラブ所属選手が4人選出されていたチェコ代表はUEFA EURO '96で準優勝を果たした。
1996-97シーズンから2005-06シーズンまでに合計5回、UEFAチャンピオンズリーグ予選出場権を得ていたが、いずれも予選敗退に終わり、本大会出場はできなかった。しかし、2007-08シーズンのCL予選3回戦では、2戦合計3-1でアヤックス・アムステルダムに勝利を収め、クラブ史上初となる本大会出場を決めた。本戦のグループステージではアーセナルFC、FCステアウア・ブカレストそしてセビージャFCと同組になった。スラヴィア・プラハはこのグループを1勝3分2負の成績で終え、グループ3位となったことで、UEFAカップベスト32へ回った。また、2006年にはエデン・スタディウムの大規模な改修を行い、観客席を21,000人まで拡大した。
2007-08シーズンと2008-09シーズン、クラブは再びチェコ1部リーグ優勝を果たし、CL予選出場権を手にするも、前者の予選ではACFフィオレンティーナに、後者ではモルドバのFCシェリフ・ティラスポリに敗れた。翌2009-10シーズンは大きく力を落とし、リーグ戦7位に終わった。
2010年の秋、クラブが1億1200万チェコ・コルナもの負債を抱えていることが明るみに出た。これにより、選手の多くが冬の移籍市場でクラブを離れ、その中の1人、ペトル・トラップは、実に3ヶ月もの間給料が未払いだったことを公表した。2011年11月5日のチェコ・カップ準決勝SKシグマ・オロモウツ戦では、クラブの首脳陣に抗議するために、試合中にサポーターの一部がピッチに雪崩れ込んだ。
2015年9月にはCEFC中国エネルギーがクラブを買収、2018年11月には中国中信集団公司とシノボ・グループがクラブのオーナーに就任した。