イタリア セリエB 09/22 13:00 4 [6] ペスカーラ v フォジア [19] L 1-0
イタリア セリエB 09/16 19:00 3 [19] フォジア v パレルモ [13] L 1-2
イタリア セリエB 09/02 19:00 2 [18] クロトーネ v フォジア [19] L 4-1
イタリア セリエB 08/26 19:00 1 [19] フォジア v カルピ [14] W 4-2
欧州親善試合 08/18 16:00 - フォジア v アスコリ W 1-0
欧州親善試合 08/12 16:04 - フォジア v アウダーチェ・チェリニョーラ W 2-0
コッパ・イタリア 08/05 18:45 8 フォジア v カターニア L 1-3
欧州親善試合 07/25 16:00 1 フォジア v ヴィルトゥス・ボルツァーノ W 4-0
欧州親善試合 07/21 15:00 1 パルマ v フォジア L 3-1
イタリア セリエB 05/18 18:30 42 [2] フロジノーネ v フォジア [9] D 2-2
イタリア セリエB 05/12 13:00 41 [9] フォジア v サレルニターナ [12] W 1-0
イタリア セリエB 05/05 13:00 40 [5] ヴェネツィア v フォジア [9] L 2-1
イタリア セリエB 05/01 13:00 39 [9] フォジア v スペツィア [11] W 2-1
イタリア セリエB 04/28 13:00 38 [8] チッタデッラ v フォジア [9] L 3-1
イタリア セリエB 04/21 13:00 37 [9] フォジア v バーリ [6] D 1-1
イタリア セリエB 04/17 18:30 36 [21] テルナーナ v フォジア [9] D 2-2
イタリア セリエB 04/13 17:00 35 [11] フォジア v アスコリ [20] W 3-0
イタリア セリエB 04/07 13:00 34 [12] クレモネーゼ v フォジア [11] W 0-4
イタリア セリエB 04/02 10:30 29 [11] フォジア v エンポリ [1] L 0-3
イタリア セリエB 03/29 18:30 33 [13] フォジア v プロヴェルチェッリ [21] W 2-1
イタリア セリエB 03/25 10:30 32 [9] パルマ v フォジア [12] L 3-1
イタリア セリエB 03/16 19:30 31 [12] フォジア v チェゼーナ [17] W 2-1
イタリア セリエB 03/10 14:00 30 [8] ペルージャ v フォジア [11] L 2-0
イタリア セリエB 03/05 19:30 29 フォジア v エンポリ - Postponed
イタリア セリエB 02/27 19:30 28 [17] ノバラ v フォジア [13] W 0-1
イタリア セリエB 02/24 14:00 27 [12] フォジア v ブレシア [17] L 1-2
イタリア セリエB 02/17 14:00 26 [12] フォジア v カルピ [9] W 3-0
イタリア セリエB 02/12 19:30 25 [3] パレルモ v フォジア [16] W 1-2
イタリア セリエB 02/03 14:00 24 [16] フォジア v アヴェッリーノ [14] W 2-1
イタリア セリエB 01/27 14:00 23 [16] ヴィルトゥス・エンテッラ v フォジア [19] W 1-2

カルチョ・フォッジャ1920Calcio Foggia 1920)は、イタリア・プッリャ州フォッジャに本拠地を置くサッカークラブチーム。2021-22シーズンはセリエCに所属。

History

Sportiva Club Foggiaとして1920年5月に設立。そのすぐ後にUSアトレタとマチステとUSプロ・フォッジャ、そしてスポルティング・クラブ・フォッジャの4クラブが統合してリーグに参加し、1957-58シーズンにはSCフォッジャとフォッジャ・インセディトが統合し新たにSCフォッジャ&インセディト(US Foggia & Incedit)とする。

1961-62シーズンにはドメニコ・ローサ・ローサが新会長として就任しオロンツォ・プリェーゼが監督としてセリエBに昇格する。ローサ・ローサ&プリェーゼの快進撃は止まらず1963-64シーズンにはセリエAへ昇格して3年連続で残留。1965年1月31日にはエレニオ・エッレーラでインテルを3-2と下した。

1966-67シーズンから3シーズン指揮をとったトンマーゾ・マエストレッリは、1973-74シーズンにSSラツィオの監督に就任すると采配が的中しラツィオに史上初のスクデットをもたらしている。

1972-73シーズンでは監督にラウロ・トネアットを招き入れて戦ったが、スポーツ裁判で-6のペナルティを受けてしまった過去もある。70年代でセリエAの舞台に上がれたのは1976-77シーズンと1977-78シーズンの2度。この時の会長はアントニオ・フェシェでエットーレ・プリチェッティが監督を務めていた。

1984年4月24日にはアントニオ・リオーチェ、フラテッリ・パスクアーレ、アニエッロ・カシッロを中心としたフォッジャ人によるロッソネーリ(フォッジャのサポーターグループ)が結成され、USフォッジャの新しい歴史が始まる。1988-1989シーズンはセリエCのジローネBでパレルモと最後まで争いセリエB昇格を決めた。

1989年にズデネク・ゼーマンが監督となったフォッジャは急激に強さを増していく。ランヴァウディ、バイアーノ、ジュゼッペ・シニョーリを擁して4-3-3でゾーンのプッレシングがプレーヤーにムーブメントを起こし、セリエAへ返り咲くと、1991-92シーズンにはスペクタクルなサッカーがセリエAで旋風を巻き起こす。後にこの快進撃はゼーマンランディア(ゼーマンの楽園)と呼ばれることとなる。しかし、シニョーリがラツィオへ引き抜かれてから勢いを失い、ズデネク・ゼーマンまでも失ったUSフォッジャはそこから暗黒期に入ることとなった。

パスクアーレ・カシッロが会長職に就きスポーツ・ディレクターにジュゼッペ・パヴォーネを就任させるも主力が抜けたUSフォッジャは1998年にはセリエC1に降格し、1999年にはセリエC2に転落していった。

プロフェッショニスティが運営するセリエCが主戦となっていた2002-03シーズンにミスター・フォッジャと言うべきパスクアーレ・マリーノを招き入れる。マリーノの手腕でロベルト・デ・ゼルビとミケーレ・パツィエンツァの才能を開花させ4年ぶりにセリエC1へ昇格させた。そして、2007年にはコッパ・イタリア・セリエCで決勝まで勝ち進み、ファイナルでも勢いのままクネオを3-1と下して優勝し初タイトルを手にする。

2009-10シーズンは、レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネのジローネBで降格争いに巻き込まれてしまいプレイアウトに回ったがトータルスコアで勝ち越し残留。再建を担うべく2010年7月14日に会長がパスクアーレ・カシッロからマッテオ・ビアンコフィオーレに変わり、三度目の監督業となるズデネク・ゼーマンを就任させセリエAを狙うが、ゼーマンがわずか1年で退任すると、2010-11シーズン終了後には財政問題によりレガ・プロから翌シーズンの参戦を認められず、新チームACDフォッジャ・カルチョ(Associazione Calcistica Dilettantistica Foggia Calcio)として、セリエDから再スタートを切った。2012-13シーズンを終えレガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネに昇格した。

2021年6月19日、ズデネク・ゼーマンの監督就任が発表された。過去3度フォッジャの監督を務めており、2011年以来の10年ぶり4度目の監督就任となった。

フォジア・カルチョ1920は、プッリャ州フォッジャをホームタウンとするイタリアのサッカークラブ。2022-23シーズンはセリエC・グループCに所属している。

1920年1月21日にカルチョ・アプリア(後のUSフォッジャ)として設立。1973年にはセリエAに初昇格し、7シーズン在籍した。1991年にはセリエBで優勝し、セリエAに復帰したが、1シーズンで降格した。その後は主にセリエBとセリエCを行き来している。

ホームスタジアムはスタディオ・ピノ・ザッケリア。収容人数は約25,000人。

クラブのエンブレムは、市の紋章である赤い十字架と、地元の特産品であるオレンジをモチーフとしている。

フォジアのライバルは、同じプッリャ州に本拠地を置くUSレッチェとUSバーリ。両チームとの対戦は「ダービー・ディ・プッリャ」と呼ばれている。

フォジアの歴代所属選手には、イタリア代表のロベルト・バッジョやジュゼッペ・シニョーリ、アルゼンチン代表のダニエル・パサレラなどがいる。