イタリア セリエB 10/09 13:00 8 [22] ヴィチェンツァ v チェゼーナ [14] D 0-0
イタリア セリエB 10/01 13:00 7 [10] ヴィルトゥス・エンテッラ v ヴィチェンツァ [20] L 4-1
イタリア セリエB 09/24 13:00 6 ヴィチェンツァ v アヴェッリーノ D 0-0
イタリア セリエB 09/20 18:30 5 アスコリ v ヴィチェンツァ L 2-0
イタリア セリエB 09/16 19:00 4 サレルニターナ v ヴィチェンツァ W 2-3
イタリア セリエB 09/10 13:00 3 ヴィチェンツァ v バーリ D 0-0
イタリア セリエB 09/04 18:30 2 SPAL v ヴィチェンツァ L 3-0
イタリア セリエB 08/27 18:30 1 ヴィチェンツァ v カルピ L 0-2
コッパ・イタリア 08/13 18:45 9 エンポリ v ヴィチェンツァ L 2-0
コッパ・イタリア 08/07 16:30 8 ヴィチェンツァ v カゼルターナ W 4-2
ワールドクラブ親善試合 08/03 18:30 - ヴィチェンツァ v ペスカーラ L 1-2
ワールドクラブ親善試合 07/30 18:30 - ヴィチェンツァ v チッタデッラ L 3-5
ワールドクラブ親善試合 07/24 15:00 - ヴィチェンツァ v カルピ L 1-3
イタリア セリエB 05/20 18:30 42 ヴィチェンツァ v ペルージャ D 0-0
イタリア セリエB 05/14 13:00 41 USラティーナカルチョ v ヴィチェンツァ L 2-1
イタリア セリエB 05/07 13:00 40 ヴィチェンツァ v ヴィルトゥス・エンテッラ W 2-1
イタリア セリエB 04/30 13:00 39 ブレシア v ヴィチェンツァ W 0-1
イタリア セリエB 04/23 16:00 38 ヴィチェンツァ v スペツィア L 0-3
イタリア セリエB 04/19 18:30 37 サレルニターナ v ヴィチェンツァ D 0-0
イタリア セリエB 04/16 13:00 36 ヴィチェンツァ v テルナーナ W 2-1
イタリア セリエB 04/09 13:00 35 チェゼーナ v ヴィチェンツァ D 1-1
イタリア セリエB 04/02 13:00 34 ヴィチェンツァ v リヴォルノカルチョ W 2-0
イタリア セリエB 03/26 14:00 33 アスコリ v ヴィチェンツァ W 1-2
イタリア セリエB 03/19 14:00 32 ヴィチェンツァ v カリアリ L 0-2
イタリア セリエB 03/13 16:30 31 ヴィチェンツァ v トラーパニ L 1-2
イタリア セリエB 03/05 14:00 30 ノバラ v ヴィチェンツァ L 4-0
イタリア セリエB 03/01 19:30 29 ヴィチェンツァ v プロヴェルチェッリ D 1-1
イタリア セリエB 02/27 14:00 28 クロトーネ v ヴィチェンツァ L 2-0
イタリア セリエB 02/20 14:00 27 ヴィチェンツァ v アヴェッリーノ D 0-0
イタリア セリエB 02/12 19:30 26 ペスカーラ v ヴィチェンツァ D 1-1

LRヴィチェンツァL.R. Vicenza)は、イタリア・ヴィチェンツァを本拠地とするサッカークラブ。2022-23シーズンはセリエCに参加している。

History

1902年創設。1910-11シーズンにイタリア選手権に初めて参加し、決勝に進んだが、当時のイタリアで最高のチームのひとつであったプロ・ヴェルチェッリに敗れた。1920年代から1930年代は下位ディビジョンに所属し、1942-43シーズンに初めてセリエAに昇格した。同シーズンは最終節にトリノでユヴェントスを6-2で破り、それによって降格を免れた。

1946-47シーズンにはセリエAで5位となったが、その翌シーズンは21チーム中20位に沈み、セリエBに降格した。1950年代前半には財政難に直面したが、1953年にスキーオの羊毛会社ラネロッシにクラブが買収され、ラネロッシ・ヴィチェンツァ (Lanerossi Vicenza) に改名された。

1955年から1975年にかけてヴィチェンツァは一度もセリエAから落ちることなく、より名高いクラブを相手に悪戦苦闘を続けた。この時代のヴィチェンツァには、“気高きプロヴィンチャーレ” (Nobile Provinciale) というニックネームが付けられた。1963-64シーズンと1965-66シーズンに6位となり、1965-66シーズンはブラジル人FWのルイス・ヴィニシオが25ゴールで得点王に輝いた。

1975年にセリエBに降格したが、1976-77シーズンに優勝すると、翌1977-78シーズンのセリエAでは24ゴールを挙げて得点王となった若きパオロ・ロッシを擁して2位となった。このシーズンのチームにはレアル・ヴィチェンツァ (Real Vicenza) というニックネームが付けられた。ユヴェントスからロッシを完全移籍させるために、クラブの会長ジュゼッペ・ファリーナは、当時の最高移籍金額となる2600万リラを支払ったが、1979年にセリエB降格、さらに1981年にはセリエC1に降格した。

1980年代中盤、ロベルト・バッジョはこのクラブで自身のキャリアをスタートさせた。1985-86シーズン、セリエBで3位となってセリエA昇格を決めたが、第2次トトネロ(闇サッカー賭博)スキャンダルに関与したことへの処分として昇格が取り消された1986-87シーズンには、セリエC1降格が決まった。。

1990年にヴィチェンツァ・カルチョ (Vicenza Calcio) に改名された。1993年にセリエBに昇格、1995年にセリエAに昇格した。1995-96シーズンのリーグで9位、1997年のコッパ・イタリアではSSCナポリを合計スコア3-1で降して優勝した。コッパ・イタリア優勝により出場権を獲得した1997-98シーズンのカップウィナーズカップでは、準決勝でイングランドのチェルシーに敗れた。

1999年にセリエBに降格、2001年にセリエAに復帰した。2004-05シーズン、負ければセリエC1への降格が決まるセリエBの降格プレーオフにおいてトリエスティーナに敗れたが、イタリアサッカー連盟 (FIGC) がジェノアとペルージャを降格させたためセリエBに再登録された。

2018年1月18日、裁判により破産が決定した。前年の9月から給与の支払いが滞り1月に入ってからは選手からストライキを起こされていた。一時は4部降格の危機もあったが、プレーアウトの機会が認められ勝利し残留。クラブは新たなオーナーに移譲され、バッサーノ・ヴィルトゥス55STと合併しLRヴィチェンツァ・ヴィルトゥスという名称になった。

2021年、クラブからヴィルトゥスという名前が消えLRヴィチェンツァというクラブ名になった 。

ヴィチェンツァは、1902年に創設されたイタリアのサッカークラブである。セリエBに所属している。

クラブは、1910年にセリエAに昇格し、1911年に初優勝を果たした。その後、1913年、1914年、1928年にも優勝し、合計4回のセリエA制覇を誇っている。

しかし、1970年代にセリエBに降格し、その後はセリエAとセリエBを行き来するようになった。2017-18シーズンには、セリエCに降格したが、翌シーズンにはセリエBに復帰した。

ヴィチェンツァのホームスタジアムは、スタディオ・ロメオ・メンティである。収容人数は12,000人である。