バスケットボールの試合 | 09/19 17:15 | - | バルセロナ女子 v マレズマ女子 | W | 71-54 | |
バスケットボールの試合 | 09/18 17:15 | - | バルセロナ・バスケット・ウィメン v ホベントゥート・バダロナ・ウィメン | W | 62-53 | |
スペイン リーガ2女子 | 02/27 15:00 | - | バルセロナ女子 v ヘリオス女子 | W | 69-47 | |
スペイン リーガ2女子 | 01/30 11:00 | - | カサブランカ・サラゴサ2002 B女子 v バルセロナ女子 | W | 50-90 | |
スペイン リーガ2女子 | 01/23 17:05 | - | バルセロナ女子 v ホベントゥート・バダロナ・ウィメン | W | 68-34 | |
スペイン リーガ2女子 | 01/13 19:30 | - | セグルXXI女子 v バルセロナ女子 | W | 52-70 | |
スペイン リーガ2女子 | 01/09 15:00 | - | バルセロナ・バスケット・ウィメン v バスケットアルメダ女子 | W | 57-38 | |
スペイン リーガ2女子 | 12/20 17:00 | - | バルセロナ女子 v セグルXXI女子 | W | 75-55 | |
スペイン リーガ2女子 | 12/08 11:00 | - | サンアドリアー女子 v バルセロナ・バスケット・ウィメン | L | 10-9 | |
スペイン リーガ2女子 | 11/15 17:00 | - | バルセロナ・バスケット・ウィメン v ボート・マタロ・ウィメン | W | 80-54 | |
スペイン リーガ2女子 | 10/31 15:00 | - | バルセロナ・バスケット・ウィメン v スタジアム・カサブランカ | W | 76-53 | |
スペイン リーガ2女子 | 10/25 11:00 | - | ホベントゥート・バダロナ・ウィメン v バルセロナCBSウィメン | W | 57-73 | |
スペイン リーガ2女子 | 10/17 14:00 | - | バルセロナCBSウィメン v GEIEGウィメン | W | 79-73 | |
スペイン リーガ2女子 | 02/29 16:52 | - | バルセロナ・バスケット・ウィメン v フェミニ・サント・アドリア・ウィメン | L | 57-61 | |
スペイン リーガ2女子 | 11/27 18:52 | - | フェミニ・サント・アドリア・ウィメン v バルセロナCBSウィメン | W | 49-56 | |
スペイン リーガ2女子 | 11/09 17:00 | - | バルセロナCBSウィメン v リマ・オルタ・ウィメン | W | 63-49 | |
スペイン リーガ2女子 | 10/05 16:23 | - | CDティアー・グラナダ・ウィメン v バルセロナ・バスケット・ウィメン | W | 68-82 | |
バスケットボールの試合 | 09/25 19:00 | - | バルセロナCBSウィメン v リマ・オルタ・ウィメン | L | 63-66 | |
スペイン リーガ2女子 | 04/25 16:44 | - | RCセルタ・ゾルカ・ウィメン v バルセロナ・バスケット・ウィメン | L | 84-79 | |
スペイン リーガ2女子 | 12/19 19:32 | - | バルセロナ女子 v リマオルタウィメン | W | 68-66 | |
スペイン リーガ2女子 | 11/01 16:57 | - | バルセロナ女子 v セグルXXI女子 | W | 63-54 | |
スペイン リーガ2女子 | 10/20 17:58 | - | バルセロナ女子 v サルダニョーラ・ウィメン | W | 59-37 |
FCバルセロナ(スペイン語: FC Barcelona Bàsquet, 英語: FC Barcelona Basketball)は、スペインのバスケットボールチームである。2015年よりスポンサー名を冠して、FCバルセロナ・ラッサ(FC Barcelona Lassa)として知られる。
FCバルセロナは1927年に初めてカタルーニャ地方バスケットボール選手権(Campionat de Catalunya de Basquetbol)に参加した。チーム設立当初のカタルーニャでは、CEエウロパ、ライエタBC(Laietà BC)、CBアトレティック・グラシア(CB Atlètic Gràcia)、 ソシエテ・パトリ(Société Patrie)などが強豪チームで、FCバルセロナがバスケットボール・チームとして認められるのは1940年代に入ってからである。
1940年代に同チームはコパ・デル・ヘネラリシモ(Copa del Generalísimo、コパ・デル・レイのフランコ政権時代の呼称)を6度勝ち取り、準優勝も1度経験している。1956年にはスペインのプロ・バスケット・リーグの創立参加チームとなり、準優勝でシーズンを終えている。1959年にはスペインリーグとカップの両方で優勝した初めてのチームとなった。
しかし1960年代から1970年代にかけて、チームは衰退の途をたどる。人気があったにもかかわらず、1961年にクラブ代表のエンリク・リャウデット(Enric Llaudet)がチームを解散させた。しかし1962年にファンの運動によって再結成された。1964年には1部リーグが14チームから8チームに減らされ、FCバルセロナは2部に落ちた。しかし翌1965年に同チームは2部で優勝する。1970年代にはレアル・マドリードやホベントゥートなどの強力ライバルチームの影に常に隠れていた。
1980年代のクラブ代表であったホセ・ルイス・ヌニェスは、FCバルセロナをスペインそしてヨーロッパで最高のチームにするために全力的に支援した。彼の支援、コーチのアイト・ガルシア・レネセス(en:Aíto García Reneses)、そしてエピ(en:Juan Antonio San Epifanio)、アンドレス・ヒメネス(es:Andrés Jiménez)、チチョ・シビリオ(es:Chicho Sibilio)、オーディー・ノリス(en:Audie Norris)、イグナシオ・ソロサバル(es:Ignacio Solozábal)といったプレーヤーの活躍で、FCバルセロナはカタルーニャ地方リーグ6回、スペイン・リーグ6回、コパ・デル・レイ5回、ヨーロッパカップウィナーズ杯(European Cup Winners' Cup。現在のサポルタ・カップen:Saporta Cup)2回、コラック・カップ(en:Korać Cup 国際バスケットボール連盟主催。2002年に廃止)1回、インターコンチネンタル杯(en: Intercontinental Cup (basketball))に1回という輝かしい優勝歴を残している。ヨーロッパ最高峰のユーロリーグでの優勝は叶わなかったが、1984年に準優勝している。
1980年代を基盤に1990年代にもスペインリーグで4回、コパ・デル・レイでも2回優勝している。しかしユーロリーグだけは6回もの準決勝進出回数の最高記録を持っているが、1990年、1991年、1996年、1997年とも準優勝や準決勝戦どまりであった。この時期のスタープレーヤーは1970年代後半から活躍中のエピ(フアン・アントニオ・サン・エピファニオ)である。
2003年、フアン・カルロス・ナバーロ、デヤン・ボディロガ (en:Dejan Bodiroga)、シャルーナス・ジャシケビシウス(en:Šarūnas Jasikevičius)の活躍により、満場のバルセロナ・パラウ・サン・ジョルディ競技場でイタリア・パッラカネストロ・トレヴィーゾを76対65で破り、ついに初のユーロリーグ優勝を収めた。