アルゼンチン URBAトップ12 | 05/11 18:30 | 5 | アトレティコ・デル・ロサリオ vs ブエノスアイレス | - | View | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 05/18 18:30 | 6 | ベルグラーノ vs アトレティコ・デル・ロサリオ | - | View | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 05/25 18:30 | 7 | アトレティコ・デル・ロサリオ vs ヒンドゥ | - | View | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 06/01 18:30 | 8 | サン・ルイス vs アトレティコ・デル・ロサリオ | - | View | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 06/08 16:00 | 9 | アトレティコ・デル・ロサリオ vs レガタス・ベラ・ビスタ | - | View | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 06/22 16:00 | 10 | CASI vs アトレティコ・デル・ロサリオ | - | View |
アルゼンチン URBAトップ12 | 04/27 18:30 | 4 | ニューマン v アトレティコ・デル・ロサリオ | L | 45-17 | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 04/20 18:30 | 3 | Alumni v アトレティコ・デル・ロサリオ | L | 37-8 | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 04/13 18:30 | 2 | アトレティコ・デル・ロサリオ v シャンパニャ | D | 18-18 | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 04/06 18:30 | 1 | SIC v アトレティコ・デル・ロサリオ | L | 51-12 | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 10/21 18:30 | 22 | アトレティコ・デル・ロサリオ v サン・ルイス | L | 12-16 | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 09/30 18:30 | 21 | Alumni v アトレティコ・デル・ロサリオ | L | 37-25 | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 09/23 18:30 | 20 | アトレティコ・デル・ロサリオ v ブエノスアイレス | W | 39-20 | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 09/16 18:30 | 19 | SIC v アトレティコ・デル・ロサリオ | W | 27-32 | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 09/02 18:30 | 18 | アトレティコ・デル・ロサリオ v ラ・プラタ | W | 22-13 | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 08/26 18:30 | 17 | ヒンドゥ v アトレティコ・デル・ロサリオ | L | 52-25 | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 08/19 18:30 | 16 | CASI v アトレティコ・デル・ロサリオ | L | 45-28 | |
アルゼンチン URBAトップ12 | 08/12 18:30 | 15 | アトレティコ・デル・ロサリオ v プカラ | W | 29-27 |
クルブ・アトレティコ・デル・ロサリオ(西: Club Atlético del Rosario)は、アルゼンチンのサンタフェ州ロサリオを拠点とするスポーツクラブ。ラグビーチームが特に有名である。トルネオ・デ・ラ・URBAに所属。通称はアトレティコ・デル・ロサリオ。
1867年3月27日、アルゼンチン中央鉄道のロサリオ-コルドバ線の建設に従事していたイギリス人労働者によってロサリオ・クリケット・クルブ(現在のCAロサリオ)が創設された。1877年にはブエノス・アイレス・クリケット・クルブとの最初の試合を行った。その後、競技種目の拡大に伴い1884年にロサリオ・アトレティック・クルブに改称された。
1886年6月29日、ブエノス・アイレスFCをロサリオに迎えてラグビーの試合を行った。この試合は、アルゼンチンにおける最初のクラブチーム同士によるラグビーの試合であると認知されている。
1889年8月30日、現在も使用している本拠地のプラサ・ジュエルが開設された。
1892年、クラブカラーとしてワインレッドと水色が採用された。この配色は現在まで受け継がれている。
1899年、ブエノス・アイレスFC、ローマスAC、ベルグラーノACなどと共に、現在のアルゼンチンラグビー協会(UAR)の前身となるリバープレートラグビー協会(River Plate Rugby Union)を設立した。同年に創設されたリバープレートラグビー協会選手権(トルネオ・デ・ラ・URBAの前身)には初年度から参加しており、第1回大会となった1899年に準優勝を遂げると、1905年-1906年には2連覇を達成した。1910年代後半にCAサン・イシドロ(CASI)が台頭してくるまでは、リーグ創設メンバーでもあるブエノス・アイレスFC、ローマスAC、ベルグラーノAC、CAロサリオの4クラブでタイトルをほぼ独占した。
1913年を最後に一度はリーグを脱退したが、その後も1934年-1944年、1951年-1955年、1983年-現在に至るまでトルネオ・デ・ラ・URBAに参加している。
1928年8月14日、ウニベルシタリオ、ヒムナシア・イ・エスグリマ、ニューウェルス・オールド・ボーイスなどと共にサンタフェラグビー協会(1932年にアルゼンチンリトラルラグビー協会(URLA)、1953年にロサリオラグビー協会(URR)に改称)を設立した。1929年に開始したサンタフェラグビー協会選手権(トルネオ・レヒオナル・デル・リトラルの前身)では初年度から優勝を重ねていった。
1956年からはトルネオ・デ・ラ・URBAに出場せず、ロサリオラグビー協会選手権のみに出場した。1973年から1985年にかけて13シーズン連続優勝を達成するなど、大会初年度の1929年から1985年までの間に27回の優勝を記録した。
1983年、トルネオ・デ・ラ・URBAに復帰した。下位リーグからの再出発となったが、1987年には1部リーグ復帰を果たした。1986年以降はトルネオ・デ・ラ・URBAに専念するため、ロサリオラグビー協会選手権には出場していない。
1986年には、国内ラグビー100周年を祝して、ブエノス・アイレスCRC(ブエノス・アイレスFCの後継チーム)との記念試合が行われた。
1996年、トルネオ・デ・ラ・URBAにおいてインドゥ・クルブと優勝を分け合い、1935年以来となる61年ぶり4回目の優勝を果たした。
2000年、トルネオ・デ・ラ・URBAの決勝で延長戦の末に35-32でCASIに勝利して、5回目の優勝を果たした。