Date | R | Home v Away | - |
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05/12 15:30 | 37 | [8] マンチェスター・ユナイテッド v アーセナル [2] | 0-1 |
05/11 16:30 | 37 | [17] ノッティンガム・フォレスト v チェルシー [7] | 2-3 |
05/11 14:00 | 37 | [6] ニューカッスル v ブライトン [11] | 1-1 |
05/11 14:00 | 37 | [9] ウェストハム v ルートン [18] | 3-1 |
05/11 14:00 | 37 | [10] ボーンマス v ブレントフォード [16] | 1-2 |
05/11 14:00 | 37 | [5] トッテナム v バーンリー [19] | 2-1 |
05/11 14:00 | 37 | [15] エバートン v シェフィールド・ユナイテッド [20] | 1-0 |
05/11 14:00 | 37 | [12] ウォルヴァ―ハンプトン v クリスタルパレス [14] | 1-3 |
05/11 11:30 | 37 | [13] フラム v マンチェスター・シティ [2] | 0-4 |
05/06 19:00 | 36 | [14] クリスタルパレス v マンチェスター・ユナイテッド [8] | 4-0 |
05/05 15:30 | 36 | [3] リバプールFC v トッテナム [5] | 4-2 |
05/05 13:00 | 36 | [13] ブライトン v アストンヴィラ [4] | 1-0 |
05/05 13:00 | 36 | [8] チェルシー v ウェストハム [9] | 5-0 |
05/04 16:30 | 36 | [2] マンチェスター・シティ v ウォルヴァ―ハンプトン [11] | 5-1 |
05/04 14:00 | 36 | [19] バーンリー v ニューカッスル [7] | 1-4 |
05/04 14:00 | 36 | [16] ブレントフォード v フラム [13] | 0-0 |
05/04 14:00 | 36 | クリスタルパレス v マンチェスター・ユナイテッド | Postponed |
05/04 14:00 | 36 | [20] シェフィールド・ユナイテッド v ノッティンガム・フォレスト [17] | 1-3 |
05/04 11:30 | 36 | [1] アーセナル v ボーンマス [10] | 3-0 |
05/03 19:00 | 36 | [18] ルートン v エバートン [15] | 1-1 |
05/02 18:30 | 26 | [9] チェルシー v トッテナム [5] | 2-0 |
04/28 15:30 | 35 | [17] ノッティンガム・フォレスト v マンチェスター・シティ [2] | 0-2 |
04/28 13:00 | 35 | [11] ボーンマス v ブライトン [12] | 3-0 |
04/28 13:00 | 35 | [5] トッテナム v アーセナル [1] | 2-3 |
04/27 19:00 | 35 | [4] アストンヴィラ v チェルシー [9] | 2-2 |
04/27 16:30 | 35 | [16] エバートン v ブレントフォード [15] | 1-0 |
04/27 14:00 | 35 | [6] マンチェスター・ユナイテッド v バーンリー [19] | 1-1 |
04/27 14:00 | 35 | [12] ウォルヴァ―ハンプトン v ルートン [18] | 2-1 |
04/27 14:00 | 35 | [13] フラム v クリスタルパレス [14] | 1-1 |
04/27 14:00 | 35 | [7] ニューカッスル v シェフィールド・ユナイテッド [20] | 5-1 |
プレミアリーグ(英: Premier League、正式名称:The Football Association Premier League Limited)は、イングランドのプロサッカー1部リーグ。20チームによって争われ、下位3クラブはEFLチャンピオンシップに降格する。イングリッシュ・プレミアリーグ(English Premier League、EPL)としても知られている。
イングランドではサッカーの国内リーグは1888年に開始されており、プレミアリーグが創設されたのは1992年である。
スペインのラ・リーガ、イタリアのセリエA、ドイツのブンデスリーガ、フランスのリーグ・アンとともに『ヨーロッパ5大リーグ』の一つである。
1980年代、イングランドサッカー界は低迷していた。スタジアムは古く傷んでおり、観客は古びた設備で観戦することを強いられた。サッカー界は、アメリカのNFLのようなエンタテイメント性への脱皮が模索された。また、同時代にはフーリガンを代表する暴力行為も広がりを見せていた。1985年という年はイングランドサッカー界にとって厄年で、5月11日ブラッドフォードシティサッカー場火災で56人が焼死、バーミンガムシティサッカー場崩落で1人死亡、5月29日、UEFAチャンピオンズカップ決勝リヴァプール対ユヴェントス戦で、サポーターが暴徒化し39人の死者が出る事件が発生。イングランドのクラブはUEFAが主催する大会への出場を禁じられた(無期限、後に5年間。当事者のリヴァプールは7年間に変更される)。これを最後に一旦BBCとITVによるサッカー中継が休止された。
プレミアリーグ移行前であったフットボールリーグのディビジョン1(プレミアリーグが新設されるまでの1部リーグ)は収益・観客数などでセリエA、リーガ・エスパニョーラに大きく遅れを取っており、優秀なイングランド人選手数人は海外に活躍の場を求め、イタリア・フランス・スペインが欧州3強であった。しかし、1990年を境にこの下降傾向が減速し始めた。1990年イタリアW杯ではイングランド代表がベスト4に進出(準決勝で敗退、3位決定戦で敗れ4位)。UEFA主催大会への出場禁止措置も解かれ、イングランドサッカー界に再興の兆しが見え始めた。
1980年代後半頃から、テレビマネーも重要になっていた。フットボールリーグは1986年に2年で630万ポンドで契約していたが、これがBBCとITVとの間で結ばれたカルテルであることが発覚、また放映権料の分配もリーグの全92チームに均等に行われていたため、特に強豪で人気のあったビッグ5といわれたチームから不満の声が上がりリーグからの離脱が噂され始めた。1988年1月、FA創立100周年の年、FAはビッグ5の経営者を集め、当時創立予定であった衛星放送BSB(現:Sky Sports)に放送権を移し、BBCとITV間のカルテル打破と放映権料の増収を図らせた。まだ衛星も打ち上げられていない放送局との契約は不安視されたが、92クラブ中91チームが契約の方向でまとまりかけた。このとき従来放映権を握ってきたITVは、ビッグ5に秘密裏に高額な放映権料を提示したが、わずか5チームだけではリーグを構成できないため、ビッグ5は他のクラブを密かに誘いはじめた。1989年4月15日ヒルズボロ・スタジアムでの観客将棋倒し事故で96人が死亡したことを受けて、当時のマーガレット・サッチャー首相はサッカー通の裁判官・ピーター・テイラーに劣悪な環境のサッカー場の改修を指示。その後立見席が全廃された。
1990年11月、ビッグ5の各経営者がロンドンで秘密裏に夕食会をもち、リーグからの離脱を決定、FAに報告したところ、リーグから猛反発を招き、1991年6月13日高等法院での審判により、FAにリーグの運営権があることが確認された。テレビ放映はITVが入札でSkyに敗れ撤退した。
1992年2月20日、フットボールリーグのディビジョン1(1部リーグ)に所属していたクラブ全てが離脱し、FAプレミアリーグを設立。FAプレミアリーグは、テレビ放映権やスポンサーなどの契約を独立して結べるようになった。その後、フットボールリーグとの間で、従来通り3チームずつの昇格・降格を行うことで合意。1992-93シーズン、初めてのFAプレミアリーグが開幕。最初のゴールはシェフィールド・ユナイテッドのブライアン・ディーン(2-1 マンチェスター・ユナイテッド)。その後、1995年にリーグ構成クラブ数を22から20に削減。2006年6月8日、FIFAはヨーロッパ全てのリーグに対し、2007-08シーズン開始前にトップディヴィジョンのクラブ数を18にするよう要求したが、プレミアリーグは削減しない方針を表明している。
2007年2月12日、名称が「FAプレミアリーグ」から「バークレイズ・プレミアリーグ」に変更された。2012-13シーズンからユースリーグのプレミアリザーブリーグとプレミアアカデミーリーグが統合し、U-21プレミアリーグ、U-18プレミアリーグが新設した。FAは2015年6月4日、今後プレミアリーグのスポンサー契約をしない方針を表明。2015-16シーズン終了後にプレミアリーグはバークレイズとの契約を終了し、名称が「プレミアリーグ」に変更された。U-21プレミアリーグは「プレミアリーグ2」に変更し、23歳以下までの出場が可能となった。
年 | スポンサー | 公式リーグ名 |
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1992–1993 | なし | FAプレミアリーグ(FA Premier League) |
1993–2001 | カーリング | FAカーリング・プレミアシップ(FA Carling Premiership) |
2001–2004 | バークレイカード | FAバークレイカード・プレミアシップ(FA Barclaycard Premiership) |
2004–2007 | バークレイズ | FAバークレイズ・プレミアシップ(FA Barclays Premiership) |
2007–2016 | バークレイズ・プレミアリーグ(Barclays Premier League) | |
2016– | なし | プレミアリーグ(Premier League) |
リーグ設立1年目の1992-1993シーズン、アレックス・ファーガソン率いるマンチェスター・ユナイテッドが18年ぶりの1部リーグ優勝を果たすと、翌年にも優勝して連覇を達成した。以降も、ファーガソンが退任する2012-13シーズンまで常に上位を争い続けることになる。特に、1998-99シーズンには、プレミアリーグ、FAカップ、UEFAチャンピオンズリーグ全てで優勝し、イングランド史上初の3冠を達成した。マンチェスターユナイテッドの他には、アーセナルが1997-1998シーズンに、後にリーグの殿堂入りを果たすことになるアラン・シアラーを擁したブラックバーン・ローヴァーズが1994-1995シーズンに、それぞれ1度ずつ優勝を分け合っている。
マンチェスター・ユナイテッドの支配に風穴を開けたのが、アーセン・ベンゲル率いるアーセナルである。01-02シーズンにリーグとカップ戦を制してダブルを達成すると、2003-2004シーズン、アンリ、ベルカンプ、キャンベルらを擁して無敗優勝を達成した。この時のアーセナルは、インヴィンシブルズと呼ばれ、この時に達成した49試合無敗の記録は、未だに破られていない。
マンチェスター・ユナイテッドとアーセナルの2強時代を終わらせたのは、ロシア人富豪ロマン・アブラモヴィッチに買収されたチェルシーであった。2003年の夏にチェルシーを買収したアブラモヴィッチは、豊富な資金を生かして次々とスターを獲得する。2003-04シーズンこそアーセナルの後塵を拝し2位に終わるも、2004年の夏にはFCポルトでチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げたジョゼ・モウリーニョを招聘し、結果2004-05シーズンは29勝8分1敗で当時の最多勝ち点記録となる勝ち点95を獲得、2位のアーセナルに12ポイント差をつけて50年ぶりのトップリーグ優勝を果たす。チェルシーは翌シーズンも優勝しリーグ連覇を達成、強豪としての地位を固めていく。06-07シーズンではマンチェスター・ユナイテッドがチェルシーの3連覇を阻み、逆に08-09シーズンまでユナイテッドの3連覇を許すことになるが、チェルシーは新たな監督としてカルロ・アンチェロッティを招聘、09-10シーズンにはリーグ戦で103得点を記録する強力な攻撃陣を擁してユナイテッドを下し、3度目のプレミア優勝を果たした。
2007年夏、タイ元首相タクシン・チナワットによってマンチェスター・シティは買収されるが、翌年タクシンはオーナー権をアブダビ・ユナイテッド・グループ・フォー・デベロップメント・アンド・インベストメント(ADUG)に売却、同年にロビーニョを獲得するなど、以後はADUGの圧倒的な資金力によって強化が図られることになる。2008-09シーズンこそ10位に終わるものの、ロベルト・マンチーニが途中で就任した2009-10シーズンは5位、2010-11シーズンは3位で初のチャンピオンズリーグ出場と35年ぶりのFAカップ優勝を果たすなど、徐々に地盤を固めていく。そして2011-12シーズン、ユナイテッドと最終節まで縺れる熾烈な優勝争いの末、この年獲得したセルヒオ・アグエロの後半ATの劇的な決勝弾でプレミアリーグ初優勝を果たすことになる。シティは2013-14シーズンも優勝を果たし、シティもまた強豪としてその後のプレミアリーグの覇権を争うことになる。また2016-17シーズンからはペップ・グアルディオラが監督に就任、初年度こそ3位に終わるも、自身の代名詞であるパスサッカーが浸透した2017-18シーズンは勝ち点100、106得点、得失点差+79を記録する圧倒的な成績でプレミア優勝を果たす。翌2018-19シーズンもリヴァプールとの熾烈な優勝争いの末連覇し、シティは2010年代で最多となる4度のリーグ優勝を果たすことになる。 2022-23シーズンには1998-99シーズンのマンチェスター・ユナイテッド以来となるプレミアリーグ史上2度目のプレミアリーグ、UEFAチャンピオンズリーグ、FAカップの3つを優勝する3冠の偉業を達成した。
一方、同じ街のマンチェスター・シティが隆盛を極める一方で、ユナイテッドは不振に喘ぐこととなる。2012-13シーズンこそアーセナルから獲得したロビン・ファン・ペルシの活躍もあり優勝を果たすが、このシーズンをもってファーガソンが勇退、以降リーグではシティの後塵を拝することとなる。ファーガソンの後任にはエヴァートン監督だったデイヴィッド・モイーズを就任させたが、ロングボールとクロスを多用する戦術にはファンやOBからの非難が殺到、ピッチ上でも結果を残せずモイーズは途中解任されることになる。その後はライアン・ギグスを暫定監督に据えるものの、2013-14シーズンは7位で終えることになり、25年ぶりにヨーロッパのカップ戦を逃すことになった。ユナイテッドはルイ・ファン・ハールを招聘し再起を図るが、2014-15シーズンは4位、2015-16シーズンは5位で共に無冠に終わる。チャンピオンズリーグ出場権を逃したことでファンハールは解任され、後任にはモウリーニョが就任した。チェルシーで3度のプレミア優勝を果たしたモウリーニョであったが、ユナイテッドでは2017-2018シーズンの2位が最高であり、成績不振に陥った2018-19シーズンの途中でモウリーニョは解任されてしまう。このようにファーガソン退任後のユナイテッドは監督を長く固定できずいずれも途中解任という結果に終わっており、2010年代途中からリーグ優勝からは遠ざかってしまった。
2015-16シーズン、前年度王者のチェルシーが一時降格圏に入るなど大不振に陥るなかで序盤から勝ち点を伸ばしたのがレスター・シティであった。この年から就任したクラウディオ・ラニエリの下、4-4-2を基調とする全員守備、FWジェイミー・ヴァーディーを中心とする素早いカウンターを武器に勝ち点を積み上げ、残留が目標だったチームは次第に優勝争いに参加していく。最終的にはトッテナムとの優勝争いを制し、2試合を残して優勝を決めた。ブックメーカーにおけるレスター優勝のオッズは5001倍であり、まさしく奇跡のような偉業を成し遂げたこのシーズンのレスターを、各メディアは「ミラクル・レスター」と呼び賞賛された。
リヴァプールはその実績の多さから、イングランドのクラブの中でも特に高い位置を占めていたが、プレミアリーグとなった後のリーグ戦では優勝争いに絡むことは少なかった。それでも2015-16シーズン途中、前ドルトムント監督ユルゲン・クロップが就任したことで徐々にリヴァプールは力を取り戻していく。クロップはドイツ仕込みのゲーゲンプレスを導入し、2015-16シーズンは8位だったチームが、16-17シーズン、17-18シーズンと2シーズン連続でトップ4入りし、CLにおいては決勝まで勝ち進んだ(決勝でレアル・マドリードに敗れ準優勝)。迎えた18-19シーズンでは序盤から驚異的なペースで勝ち点を得てクリスマスを首位で折り返すものの、マンチェスター・シティの猛追をかわしきれず、結果04-05シーズンのチェルシーを上回る勝ち点97を得ながらも2位に終わってしまう。それでもこのシーズンは2年連続となったCL決勝でトッテナムとの同国対決を制し、久しぶりのタイトルを得ることに成功した。そして翌19-20シーズンは開幕から27戦無敗(引き分けもマンチェスター・ユナイテッド戦の1試合のみ)、リーグ戦18連勝など圧倒的な成績を残し、新型コロナウイルスによるリーグ戦中断もものともせず第31節に史上最速で優勝を決めた。リヴァプールにとっては30年ぶりのトップリーグ優勝、プレミアリーグとなってからは初の優勝であった。
ペップ・グアルディオラ監督の元、マンチェスター・シティは2020-21シーズン、2021-22シーズン、2022-23シーズンにリーグ三連覇を達成した。2021-22シーズンはリヴァプールと勝ち点90超えのハイレベルな接戦を1ポイント差で制した。2022-23シーズンはアーセナルと終盤まで優勝争いを演じるも、直接対決を制し最後まで失速しなかったシティが引き離し優勝。