Date | R | Home v Away | - |
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12/19 18:00 | 18 | [11] ラージョ・バジェカーノ v バレンシア [10] | 0-1 |
12/18 20:00 | 17 | [2] ジローナ v CDアラベス [13] | 3-0 |
12/17 20:00 | 17 | [2] レアルマドリード v ビジャレアル [14] | 4-1 |
12/17 17:30 | 17 | [9] ラスパルマス v カディス [18] | 1-1 |
12/17 15:15 | 17 | [6] レアルソシエダ v レアルベティス [7] | 0-0 |
12/17 13:00 | 17 | [20] アルメリア v マヨルカ [15] | 0-0 |
12/16 20:00 | 17 | [11] バレンシア v バルセロナ [4] | 1-1 |
12/16 17:30 | 17 | [16] セビージャ v ヘタフェ [9] | 0-3 |
12/16 15:15 | 17 | [5] アスレティック・ビルバオ v アトレティコ・マドリード [3] | 2-0 |
12/16 13:00 | 17 | [18] セルタ v グラナダ [19] | 1-0 |
12/15 20:00 | 17 | [14] オサスナ v ラージョ・バジェカーノ [10] | 1-0 |
12/11 20:00 | 16 | [11] ラージョ・バジェカーノ v セルタ [18] | 0-0 |
12/11 20:00 | 16 | [19] グラナダ v アスレティック・ビルバオ [6] | 1-1 |
12/10 20:00 | 16 | [4] バルセロナ v ジローナ [2] | 2-4 |
12/10 17:30 | 16 | [17] カディス v オサスナ [14] | 1-1 |
12/10 13:00 | 16 | [4] アトレティコ・マドリード v アルメリア [20] | 2-1 |
12/09 20:00 | 16 | [17] マヨルカ v セビージャ [15] | 1-0 |
12/09 17:30 | 16 | [12] ビジャレアル v レアルソシエダ [6] | 0-3 |
12/09 15:15 | 16 | [7] レアルベティス v レアルマドリード [1] | 1-1 |
12/09 13:00 | 16 | [13] CDアラベス v ラスパルマス [9] | 0-1 |
12/08 20:00 | 16 | [10] ヘタフェ v バレンシア [9] | 1-0 |
12/04 20:00 | 15 | [18] セルタ v カディス [17] | 1-1 |
12/03 20:00 | 15 | [4] バルセロナ v アトレティコ・マドリード [3] | 1-0 |
12/03 17:30 | 15 | [15] セビージャ v ビジャレアル [13] | 1-1 |
12/03 15:15 | 15 | [20] アルメリア v レアルベティス [7] | 0-0 |
12/03 13:00 | 15 | [17] マヨルカ v CDアラベス [13] | 0-0 |
12/02 20:00 | 15 | [14] オサスナ v レアルソシエダ [6] | 1-1 |
12/02 17:30 | 15 | [2] レアルマドリード v グラナダ [19] | 2-0 |
12/02 15:15 | 15 | [5] アスレティック・ビルバオ v ラージョ・バジェカーノ [10] | 4-0 |
12/02 13:00 | 15 | [2] ジローナ v バレンシア [9] | 2-1 |
プリメーラ・ディビシオン(西: Primera División)またはラリーガ(西: LALIGA)は、スペインプロリーグ機構が運営するスペインのプロサッカーリーグ。正式名称は、カンペオナト・ナシオナル・デ・リーガ・デ・プリメーラ・ディビシオン(西: Campeonato Nacional de Liga de Primera División)である。2023-24シーズンからコンピューターゲームの販売会社、エレクトロニック・アーツ(EA Sports)との提携契約により、ラリーガ EA SPORTS(LALIGA EA SPORTS)の名称が用いられる。
1872年、アンダルシア州のウエルバにイギリスからサッカーが伝えられ、それから17年を経た1889年、スペイン初のサッカークラブであるレクレアティーボ・ウエルバが誕生。これを機にマドリード、バルセロナなどの大都市にも次々にサッカークラブが生まれた。1904年にはスペインサッカー連盟の前身団体が国際サッカー連盟(FIFA)に加盟し、1913年にはスペインサッカー連盟(RFEF)が設立された。1920年、アントワープオリンピック出場を主目的としてスペイン代表が創設され、銀メダルを獲得してスペイン国内に一大ブームを巻き起こした。
1927年4月、アレナス・クルブ・デ・ゲチョのホセ・マリア・アチャ監督は全国選手権の創設を提案した。リーグの規模や参加クラブなどについて議論が重ねられた結果、スペインサッカー連盟(RFEF)は1929年にプリメーラ・ディビシオンを創設した。参加クラブは10クラブであり、コパ・デル・レイの優勝経験があったFCバルセロナ、レアル・マドリード、アスレティック・ビルバオ、レアル・ソシエダ、アレナス・クルブ、レアル・ウニオンはすべて選出された。それ以外には、コパ・デル・レイで準優勝の経験があったアトレティコ・マドリード、RCDエスパニョール、CEエウロパの参加が決定し、トーナメント戦を通じてラシン・サンタンデールが10クラブ目に選ばれた。
創設時の10クラブ | |||||
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クラブ | 本拠地 | 創設年 | リーグ 優勝 |
2023-24 所属 |
備考 |
FCバルセロナ | カタルーニャ地域, バルセロナ | 1899年 | 27回 | プリメーラ | コパ・デル・レイ優勝31回 |
レアル・マドリード | マドリード | 1902年 | 35回 | プリメーラ | コパ・デル・レイ優勝20回 |
アスレティック・ビルバオ | バスク地域, ビルバオ | 1898年 | 8回 | プリメーラ | コパ・デル・レイ優勝23回 |
レアル・ソシエダ | バスク地域, サン・セバスティアン | 1909年 | 2回 | プリメーラ | コパ・デル・レイ優勝3回 |
アレナス・クルブ・デ・ゲチョ | バスク地域, ゲチョ | 1909年 | なし | セグンダ・フェデラシオン | コパ・デル・レイ優勝1回 |
レアル・ウニオン | バスク地域, イルン | 1915年 | なし | プリメーラ・フェデラシオン | コパ・デル・レイ優勝4回 |
アトレティコ・マドリード | マドリード | 1903年 | 11回 | プリメーラ | コパ・デル・レイ優勝10回 |
RCDエスパニョール | カタルーニャ地域, バルセロナ | 1900年 | なし | セグンダ・ディビシオン | コパ・デル・レイ優勝4回 |
CEエウロパ | カタルーニャ地域, バルセロナ | 1907年 | なし | セグンダ・フェデラシオン | |
ラシン・サンタンデール | カンタブリア地域, サンタンデール | 1913年 | なし | セグンダ・ディビシオン |
1929年の第1回大会を制したのはバルセロナであり、1931-32シーズンと1932-33シーズンにはレアル・マドリードが2連覇したが、初期のリーガでもっとも成功を収めたのはアスレティック・ビルバオだった。1929-30シーズン、1930-31シーズン、1933-34シーズン、1935-36シーズンに優勝し、1931-32シーズンと1932-33シーズンには2位となった。1934-35シーズンにはベティス・バロンピエが初優勝したが、これは現在でもベティスにとって唯一のリーグ優勝である。
スペイン内戦中はリーグ戦そのものが中断され、1936-37シーズンから1938-39シーズンまでの3シーズンは行なわれていない。スペイン第二共和政下の1937年にはカタルーニャ地方やバレンシア地方のクラブが参加したリーガ・メディテラネア(地中海リーグ)が行なわれ、バルセロナが優勝した。70年を経た2007年、バルセロナはスペインサッカー連盟にリーガ・メディテラネアの公式タイトル承認を求めた。
スペイン内戦終結後にプリメーラ・ディビシオンが再開されると、アトレティコ・アビアシオン(現在のアトレティコ・マドリード)、バレンシア、セビージャFCが台頭して強豪に成長した。スペイン内戦では多くのサッカー選手が犠牲となり、また他国への亡命や身柄の拘束などで選手を失ったクラブが多かったが、アトレティコは合併でチーム力強化を行なった。スペイン内戦前にはレアル・オビエドも強豪の一角だったが、内戦中にグラウンドが荒らされたために参戦の権利をアトレティコに譲り、1939-40シーズンと1940-41シーズンにはアトレティコが2連覇を飾った。また、内戦前の戦力が損なわれずに残っていたバレンシアは、1941-42シーズン、1943-44シーズン、1946-47シーズンに優勝を飾り、1947-48シーズンと1948-49シーズンに2位となった。セビージャは短期間だが黄金期を迎え、1939-40シーズンと1941-42シーズンに2位となったほか、1945-46シーズンには初優勝を飾った。1940年代後半にはバルセロナも強豪に成長し、1945-46シーズン、1947-48シーズン、1948-49シーズンに優勝した。1949-50シーズンと1950-51シーズンにはエレニオ・エレーラ監督に率いられたアトレティコが2連覇した。なお、フランシスコ・フランコ独裁政権は世界中から批判され、スペインサッカー界も長い間孤立を余儀なくされた。
1950年代はFCバルセロナとレアル・マドリードの2強のリーグ支配が開始された時代だった。1930年代から1950年代には外国人選手数に厳しい制限が課せられ、ほとんどの期間は外国人選手の登録は3人までに限られた。しかし1950年代、2強はルールの穴を突いてアルフレッド・ディ・ステファノ、フェレンツ・プスカシュ、ラディスラオ・クバラなど外国出身スター選手を出場させた。クバラに率いられたバルセロナは1951-52シーズンと1952-53シーズンに2連覇し、ディ・ステファノやプシュカーシュ、フランシスコ・ヘントなどが核となったレアル・マドリードは1950年代後半のリーグを支配した。1953-54シーズンと1954-55シーズンに2連覇し、1955-56シーズンはアスレティック・ビルバオが間隙を突いたが、1956-57シーズンと1957-58シーズンにもレアル・マドリードが優勝した。またこの時代のレアル・マドリードはUEFAチャンピオンズカップで5連覇を達成した。エレーラ監督に率いられたバルセロナは、ルイス・スアレスを擁して1958-59シーズンと1959-60シーズンに2連覇し、スアレスはスペイン人として初めてバロンドールを受賞した。
1961年から1980年まではレアル・マドリードがプリメーラ・ディビシオンを支配し、この期間だけで14回も優勝した。1960-61シーズンから1964-65シーズンまで5連覇を達成し、その他にも2回の3連覇(1966-67シーズンから1968-69シーズン、1977-78シーズンから1979-80シーズン)を果たした。アトレティコ・マドリードも1965-66シーズン、1969-70シーズン、1972-73シーズン、1976-77シーズンの4回優勝したが、その他のクラブではバレンシアCFが1970-71シーズンに、ヨハン・クライフを擁したバルセロナが1973-74シーズンにマドリード勢の牙城を崩すのみに終わった。
1976-77シーズンまではプリメーラ(1部)、セグンダ(2部)、テルセーラ(3部)、ディビシオネス・レヒオナレス(4部以下、地域リーグ)という構成だったが、1977年にテルセーラとレヒオナレスが改編され、セグンダとテルセーラの間にセグンダ・ディビシオンBが創設された。これにより、1977-78シーズンからはプリメーラ(1部)、セグンダ(2部)、セグンダB(新3部)、テルセーラ(新4部)、レヒオナレス(新5部以下、地域リーグ)という構成に変更された。
レアル・マドリードの栄光の時代は過ぎ去り、1980-81シーズンと1981-82シーズンにはレアル・ソシエダが初優勝を含む2連覇を飾った。1982-83シーズンと1983-84シーズンには、ソシエダと同じバスク州のクラブであるアスレティック・ビルバオが2連覇を達成した。
1984-85シーズンには、テリー・ベナブルズ監督がバルセロナを優勝に導いたが、1985-86シーズンから1989-90シーズンにはレアル・マドリードが2度目の5連覇を達成した。レオ・ベーンハッカー監督が指揮し、エミリオ・ブトラゲーニョ、マノロ・サンチス、マルティン・バスケス、ミチェル、ミゲル・パルデサ、ウーゴ・サンチェスなどを擁したチームはキンタ・デル・ブイトレ(ハゲワシ部隊)と称された。
1988年にはヨハン・クライフがバルセロナ監督に就任し、1990-91シーズンにはエル・ドリーム・チームと呼ばれるチームで3年ぶりの優勝を飾った。1991-92シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは決勝に進出し、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行なわれた決勝ではUCサンプドリア(イタリア)を破って初優勝を飾った。国内リーグでは1993-94シーズンまで4連覇を達成した。クライフ監督は在任中に国内外で10個のタイトルを獲得し、ひとりの監督によるタイトル数のスペイン記録を作った。エル・ドリーム・チームはジョゼップ・グアルディオラ、ロナルト・クーマン、ミカエル・ラウドルップ、ロマーリオ、フリスト・ストイチコフなどで構成された。1984年から1996年にかけて、リーガのトロフィーは2強が独占した。
1992-93シーズンから2003-04シーズンの12シーズンにおいて、デポルティーボ・ラ・コルーニャは計10シーズンで3位以内に入った。1994-95シーズンにはコパ・デル・レイで初優勝し、1995-96シーズンにはスーペルコパで初優勝。ハビエル・イルレタ監督に率いられ、1999-2000シーズンにはリーグ戦で初優勝を飾った。
1995-96シーズンにはアトレティコ・マドリードが19シーズンぶりのリーグ優勝を飾ったが、アトレティコはこの後長い低迷期に入ることになる。翌シーズンにはレアル・マドリードが優勝した。バルセロナではまたもオランダ人のルイ・ファン・ハールが監督に就任し、ルイス・フィーゴ、ルイス・エンリケ、リバウドなどの名選手を集め、1997-98シーズンと1998-99シーズンに2連覇した。1990年代、レアル・マドリードは国内リーグで2度しか優勝していないが、1997-98シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは決勝でユヴェントスFC(イタリア)を破り、32年ぶりの優勝を果たした。
エクトル・クーペル監督に率いられたバレンシアCFは1999-2000シーズンと2000-01シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで準優勝した。後任のラファエル・ベニテス監督は2001-02シーズンにリーグ優勝し、2003-04シーズンには国内リーグとUEFAカップの2冠に導いた。
国内外でバレンシアとタイトルを争ったのがレアル・マドリードであり、2000-01シーズンと2002-03シーズンにリーグ優勝し、1999-2000シーズンと2001-02シーズンにUEFAチャンピオンズリーグで優勝した。1999-2000シーズンのUEFAチャンピオンズリーグはバレンシア対レアル・マドリードというスペイン勢同士の決勝となり、レアル・マドリードが勝利した。2001-02シーズンはレアル・マドリードが決勝でバイエル・レバークーゼン(ドイツ)と対戦し、ジネディーヌ・ジダンが決勝点を決めて優勝した。2000年代前半から中盤にかけてのレアル・マドリードはロス・ガラクティコスと呼ばれ、ルイス・フィーゴ、ジダン、ロナウド、デビッド・ベッカムなどのスター選手が在籍した。
2004-05シーズン、ロナウジーニョを擁したバルセロナは21世紀初の優勝を飾り、2005-06シーズンには国内リーグとUEFAチャンピオンズリーグの2冠を達成した。レアル・マドリードはラウル・ゴンサレス、ルート・ファン・ニステルローイなどを擁し、2006-07シーズンと2007-08シーズンに2連覇した。
2000年代後半にはジョゼップ・グアルディオラ監督率いるバルセロナが新たな黄金期を迎え、ラ・マシアと呼ばれる下部組織出身選手(リオネル・メッシ、シャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタなど)を中心としたチームで2008-09シーズンから2010-11シーズンまで3連覇した。グアルディオラ監督は在任中に国内外で14個のタイトルを獲得し、クライフの記録を破った。
2011-12シーズン、ジョゼ・モウリーニョ監督に率いられたレアル・マドリードはリーグ歴代最多の勝ち点100を記録し、32回目の優勝を飾った。また、得点数(121)、通算勝利数(32)、アウェーでの勝利数(16)もリーグ記録を更新した。しかし翌2012-13シーズン、フランセスク・ビラノバ監督率いるバルセロナが同じくリーグ歴代最多タイとなる勝ち点100を記録し優勝。ホームでの勝利数(18)はリーグ最多記録を単独で更新した。
2013-14シーズン、ディエゴ・シメオネ監督率いるアトレティコ・マドリードがレアル・マドリード、バルセロナと熾烈な優勝争いを繰り広げ、最終節に勝ち点差3の2位バルセロナとの直接対決に引き分け18シーズンぶり10回目のリーグ優勝を達成した。レアル・マドリード、バルセロナ以外のチームが優勝したのは2003-04シーズンのバレンシア以来10年ぶりのことであった。
2014-15シーズンから2019-20シーズンにかけてはバルセロナとレアル・マドリードがタイトルを分け合ったが、アトレティコ・マドリードはいずれのシーズンも3位以内に入っており、3強として扱われるようにもなった。
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