ボウリング

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ボウリング(英: bowling)は、スポーツ競技のひとつ。さまざまな種類のボウリングがあるが、日本において単に「ボウリング」と言った場合、そのほとんどはテンピンボウリング(英: ten-pin bowling)のみを指すため、本項ではテンピンボウリングに限定して述べる。漢訳語「十柱戯じっちゅうぎ」と記述されることもある。

テンピンボウリングは、ワールドゲームズ実施競技、アジア競技大会、国民体育大会の正式競技種目にもなっている。

日本語での表記法については、文化庁の国語施策における「外来語の表記」で、「長音符号の代わりに母音字を添えて書く慣用もある」として、その例に「ボウリング」を挙げている。「ボーリング」と表記した場合、掘削工事を指すことがあるので注意が必要。

History

もともとボウリングは倒すピンを災いや悪魔に見立てて、それを沢山倒すことが出来たならば、その災いなどから逃れることが出来るという一種の宗教儀式であった。その歴史は古く、紀元前5000年頃には古代エジプトにおいて、木でできたボールとピンが墓から発掘されたことから、その頃からもボウリングに似たようなものがあったとされている。

しかし倒すピンの数やそれに応じた並べ方も場所や地域によってさまざまであった。それを中世ドイツの宗教革命家として知られるマルティン・ルターが、倒すピンを9本にし、並べ方もひし形にして、ボウリングの基本的なルールを統一したとされ、これが近代ボウリングのルールの原型になっていったと考えられている。9本という決められた数のピンを倒すという行為から、やがて「ナインピンズ・ボウリング(en:Nine-pin bowling)」(九柱戯)という一つのスポーツが派生し、宗教家の間では人気のあるスポーツとして栄えた。九柱戯はいまだにヨーロッパでは比較的メジャーな競技で、愛好者も多い。

17世紀になるとオランダ人が移住したことで、アメリカでもボウリングが盛んになった。しかしナインピン・ボウリングは賭け事に利用されたため1840年代に禁止される。そこで1本ピンを追加して三角形に並べ、ナインピンを禁じる法律を回避したテンピン・ボウリングが誕生することとなった。1895年にはアメリカ・ボウリング協会(American Bowling Congress)が発足される。1950年代初めに全自動式ピンスポッター(ピンを自動で並べる機械)の設置が始まることで急速に普及し、1952年には国際的な統括機関である国際柱技者連盟(Fédération Internationale des Quilleurs, 略称FIQ)が設立された。

日本

ボウリング事始め

日本では、文久元年5月15日(新暦換算:1861年6月22日)、長崎の大浦居留地(長崎居留地)にて、日本初のボウリング場「インターナショナル・ボウリング・サロン」が開設された。1861年7月6日、英字新聞「ザ・ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー」にインターナショナル・ボウリング・サロンの開設を告げる案内広告が掲載された。この広告に6月22日にインターナショナル・ボウリング・サロンが開設されたと掲載されていた。

これを記念して、日本ボウリング協議会が1971年に6月22日を『ボウリングの日』と定め、ボウリングの普及と振興のための企画などを実施するようになった。2002年からは日本ボウリング場協会がキャンペーンを実施している。

なお、幕末の志士・坂本龍馬が長崎に居留していたイギリス人貿易商グラバーと交流があったことから、後世、日本ボウリング資料館の開館を報じる『ボウリング・マガジン』において、「龍馬が日本人初のボウリングプレイヤーであるかもしれない」という願望を含んだ記事が掲載されたが、そのような事実があったという確たる証拠は一切無い[]

普及

1955年(昭和30年)の雑誌には「最近になって日本に入ってきたスポーツで、まだあまり大衆に親しまれていない」とあり、広く親しまれるようになったのは昭和40年代以降と思われる。スポーツ競技と定義されているが、手軽な集団レクリエーション・ゲームとしても浸透しており、あまり経験の無い人も参加しやすい性質を持つといえる。

1970年(昭和45年)前後には、須田開代子と中山律子に代表されるスター・プレイヤーの出現などがきっかけとなって、ボウリング場が数百メートルごとに立ち並ぶほどの一大ブームが到来した。日本国内のボウリング場は1972年(昭和47年)時点で3697箇所を数えた。

その手軽さとルールの簡明さゆえに、国民に馴染みの深いスポーツの一つであったが、ブームが過ぎると集客力も減衰して施設は激減していった。ボウリング場も1980年代からはアーケードゲームを併設し総合娯楽施設として構えていたことが多かった。遊びの多様化によるボウリング競技者人口の減少に加え、先のブーム時に建てられた施設の老朽化が進んで耐震基準を満たさなくなったことが大きく響いて、次々に廃業している。

日本国内のボウリング場は1972年(昭和47年)には最多の3697箇所を数えた。2016年(平成28年)時点で821箇所にまで減っている。2023年(令和5年)9月1日時点で、日本全国の施設数は661となっている。

日本の年表

  • 1861年、文久元年5月15日(新暦換算:1861年6月22日、幕末)、長崎の大浦居留地に初めてのボウリング場がオープン。地元新聞(日本発の英字新聞)に広告が掲載される。
  • 1950年(昭和25年) - 7月14日、日本ボウリング協会が発足。明治神宮外苑ラグビー場横に競技場を設立。
  • 1952年(昭和27年) - 12月20日、日本で初めての本格民間ボウリング場 「東京ボウリングセンター」が、東京都港区青山に開業した。所在地は外苑前の現在はスポーツ施設「テピア」となっている場所であった。しかしながら東京ボウリングセンターは開業から1年で経営破綻したことから第一ホテル(当時)が経営権を取得、吉祥寺第一ホテル(東京都武蔵野市)に施設を移設したが、同ホテルの撤退に伴い2022年3月末に閉館。ホテルは吉祥寺エクセルホテル東急に、ボウリング場跡地はディグボウル吉祥寺となり、館内に「わが国近代ボウリング発祥の地」碑がある。
  • 1955年(昭和30年) - 日本ボウリング連盟(現・全日本ボウリング協会の前身)の設立。初代会長は、安西正夫。
  • 1961年(昭和36年) - 日本がボウリングの世界組織である国際柱技者連盟(FIQ 現・世界ボウリング連盟)に加盟する。この頃からボウリングの機械化が進み始める。それまでは、ピンボーイと呼ばれる人が倒れたピンをもとどおりにするという人力に頼ったものだった。
  • 1964年(昭和39年) - 5月、全日本ボウリング協会 (JBC) の設立。
  • 1965年(昭和40年) - 4月、日本ボウリング場協会 (BPAJ) の創立。日本ボウリング協議会(NBCJ)が設立される。参議院地方委員会風俗小委員会にて、深夜営業を行うボウリング場への青少年の出入りが問題視される。このため業界側が午前零時を回る営業の自主規制を行う。
  • 1967年(昭和42年) - 1月27日、日本プロボウリング協会が設立される。
  • 1960年代末頃 - スコアをボウラーが計算しなくても済む計算機能を持った機械が実用化され始める。この頃から、日本ではボウリングのブームが始まる。
  • 1971年(昭和46年) - 日本ボウリング協議会が6月22日を「ボウリングの日」に制定する。4月、テレビドラマ『美しきチャレンジャー』の放送開始。
  • 1972年(昭和47年) - 日本ボウリング場協会が6月22日を「ボウリングの日」に制定する。
  • 1978年(昭和48年) - 全日本ボウリング協会が財団法人になる。
  • 1983年(昭和58年) - 全日本ボウリング協会が日本体育協会に加盟。
  • 1986年(昭和61年) - アジア競技大会で(ソウルで開催)日本は12種目中6個もの金メダルを獲得する。
  • 1988年(昭和63年) - ソウルオリンピックでエキシビションゲームに採択される。
  • 1990年(平成2年) - 6月22日、長崎県長崎市大浦町に「わが国ボウリング発祥の地」碑の建立/日本ボウリング場協会による。■右列に画像あり。
  • 1993年(平成5年) - 日本ボウリング場協会が「ボウリング・マスメディア大賞」を開始する。
  • 1994年(平成6年) - 9月29日、東京都港区北青山2丁目に「近代ボウリング発祥の地」碑の建立/東京ボウリング場協会が協会創立30周年を記念して建立。日本初のテンピンボウリング手動式設備を設けた「東京ボウリングセンター」を近代ボウリングの発祥地とする記念碑。■右列に画像あり。
  • 2018年(平成30年) - 日本ボウリング機構 (JBO) が設立される。


ボウリングトーナメント「ボウリング」の説明:

このボウリングトーナメントは、テンピンボウリングの競技会です。参加者はボウリングの技術を競い合い、優勝を目指します。トーナメントは複数のラウンドで構成されており、各ラウンドでのスコアが合計され、最終的な順位が決定されます。

このトーナメントは、ボウリング愛好者やプロフェッショナルボウラーのためのものであり、様々なレベルの参加者が集まります。参加者は、ボウリングボールを使ってピンを倒すための正確な投球技術や戦略を駆使し、高得点を獲得することを目指します。

トーナメントは、個人戦や団体戦の形式で行われることがあります。個人戦では、各参加者が自身のスコアを競い合い、最も高いスコアを出した者が優勝となります。団体戦では、複数の参加者がチームを組み、合計スコアを競います。

ボウリングトーナメント「ボウリング」は、友達や家族と楽しい時間を過ごすのに最適なイベントです。参加者は、ボウリング場の快適な環境で競技を楽しむことができます。また、トーナメントの間には、様々な賞品や景品が用意され、参加者にとってさらなるモチベーションを与えます。

このボウリングトーナメントは、ボウリングの技術を向上させたい人や競技に興味のある人にとって、素晴らしい機会です。参加者は、他のボウラーとの交流や競争を通じて、自身のスキルを磨くことができます。さらに、トーナメントの雰囲気や緊張感は、ボウリングの魅力を最大限に引き出します。

ボウリングトーナメント「ボウリング」は、ボウリング愛好者にとっての必見イベントです。参加者は、ボウリングの技術を競い合いながら、楽しく充実した時間を過ごすことができます。