スペイン セグンダディビシオンRFEF - グループ3 | 05/05 10:00 | 34 | CEヨーロッパ vs エスパニョールB | - | View |
スペイン セグンダディビシオンRFEF - グループ3 | 04/28 10:00 | 33 | [2] リェイダ v CEヨーロッパ [3] | W | 0-1 | |
スペイン セグンダディビシオンRFEF - グループ3 | 04/21 10:00 | 32 | [4] CEヨーロッパ v Badalona Futur [3] | W | 2-1 | |
スペイン セグンダディビシオンRFEF - グループ3 | 04/14 10:00 | 31 | [10] SCRペーニャ・デポルティーバ v CEヨーロッパ [3] | D | 2-2 | |
スペイン セグンダディビシオンRFEF - グループ3 | 04/07 10:00 | 30 | [4] CEヨーロッパ v CEマンレサ [17] | W | 4-0 | |
スペイン セグンダディビシオンRFEF - グループ3 | 03/31 15:30 | 29 | [13] アトレティコ・サグンティーノ v CEヨーロッパ [3] | L | 2-1 | |
スペイン セグンダディビシオンRFEF - グループ3 | 03/24 11:00 | 28 | [3] CEヨーロッパ v UDアルシア [12] | D | 0-0 | |
スペイン セグンダディビシオンRFEF - グループ3 | 03/17 16:00 | 27 | [12] タラサ v CEヨーロッパ [3] | L | 4-1 | |
スペイン セグンダディビシオンRFEF - グループ3 | 03/13 19:30 | 24 | [2] CEヨーロッパ v バレンシアB [13] | D | 3-3 | |
スペイン セグンダディビシオンRFEF - グループ3 | 03/09 17:00 | 26 | [3] CEヨーロッパ v ラ・ヌシア [18] | W | 4-2 | |
スペイン セグンダディビシオンRFEF - グループ3 | 03/03 17:00 | 25 | [5] ヘラクレス v CEヨーロッパ [3] | D | 0-0 | |
スペイン セグンダディビシオンRFEF - グループ3 | 02/25 11:00 | 24 | CEヨーロッパ v バレンシアB | - | PPT. | |
スペイン セグンダディビシオンRFEF - グループ3 | 02/18 11:00 | 23 | [4] CEヨーロッパ v サルダニョーラ・ダル・バリェスFC [16] | W | 2-1 |
Total | Home | Away | |
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Matches played | 38 | 20 | 18 |
Wins | 18 | 14 | 4 |
Draws | 12 | 3 | 9 |
Losses | 8 | 3 | 5 |
Goals for | 61 | 44 | 17 |
Goals against | 39 | 18 | 21 |
Clean sheets | 16 | 10 | 6 |
Failed to score | 9 | 4 | 5 |
CEエウロパ(Club Esportiu Europa)は、スペイン・カタルーニャ州バルセロナに本拠地を置くサッカークラブ。現在はセグンダ・ディビシオンRFEFに所属している。
サッカーチームは1929年にリーガ・エスパニョーラが創設された際の10クラブのひとつである。1990年代末にはコパ・カタルーニャで2回優勝した。2015-16シーズンはテルセーラ・ディビシオン(4部相当)に所属している。
バスケットボールチームはスペイン最古のチームのひとつであり、1922年12月8日に行なわれたライエタBCとの試合はスペイン初のバスケットボールの試合とされている。1920年代にはカタルーニャ選手権で2回優勝した。
1907年6月5日、グラシア地区の2つのクラブ、マドリードとプルベンサルの合併によってCDエウロパが創設された。1918-19シーズンには、サッカーチームがカタルーニャ選手権2部で優勝。優勝プレーオフではCEフピテル(ジュピテー)を破り、昇格プレーオフではアスレティック・サバデイを破った。
1920年代にはFCバルセロナに次ぐカタルーニャ地方2番手のクラブとして台頭。1920-21シーズンと1921-22シーズンのカタルーニャ選手権1部で準優勝し、イングランド人のコニャーズ・キルビーに率いられた1922-23シーズンの同大会で初優勝。勝ち点ではバルセロナと同点だったが、優勝プレーオフを1-0で制した。
1923年には各地方の優勝クラブが集まるコパ・デル・レイ(リーガ・エスパニョーラ創設前はスペイン最高峰の大会だった)に出場し、セビージャFC(アンダルシア)やスポルティング・ヒホン(アストゥリアス)を破ったが、カム・ダ・ラス・コルツで行なわれた決勝でアスレティック・ビルバオ(バスク)に0-1で敗れた。その後、キルビー監督はバルセロナの監督に転身した。1923-24シーズン、1926-27シーズン、1927-28シーズン、1928-29シーズンのカタルーニャ選手権1部でも準優勝した。
1928年にリーガ・エスパニョーラ(スペインの全国選手権)が創設されると、コパ・デル・レイ準優勝の経験があるエウロパはプリメーラ・ディビシオン(1部)の創設メンバーに選出された。なお、カタルーニャ地方からはバルセロナ、RCDエスパニョール、エウロパの3クラブが創設メンバーに名を連ねている。3シーズンをプリメーラ・ディビシオンで過ごし、1931年にセグンダ・ディビシオン(2部)降格となった。
1931年にはグラシアFC(かつてはFCエスパーニャ・デ・バルセロナという名称だった)と合併し、カタルーニャFCという名称になった。しかし合併はうまくいかず、1931-32シーズンは財政問題が理由で試合をすべて消化できなかった。テルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)降格となり、1932年にはCDエウロパという名称に戻った。
1950年代末から1960年代には巻き返しを見せ、テルセーラ・ディビシオンに所属するカタルーニャ州のクラブが争うモスカルド杯で2回優勝した。また、1961-62シーズンと1962-63シーズンにはテルセーラ・ディビシオンで優勝し、1963年にセグンダ・ディビシオン昇格を果たした。5シーズンをセグンダ・ディビシオンで過ごし、1968年にテルセーラ・ディビシオン降格となった。1985年、カスティーリャ語のCEエウロパ(クルブ・デポルティーボ・エウローパ)からカタルーニャ語のCEエウロパ(クルブ・アスプルティウ・エウローパ)に名称が変更された。
1997年と1998年のコパ・カタルーニャでは、いずれの大会も決勝でFCバルセロナを破って優勝した。1997年大会時のバルセロナはボビー・ロブソン監督が率い、ギジェルモ・アモールやフリスト・ストイチコフなども出場したが、エウロパが3-1で勝利した。1998年大会のバルセロナのメンバーはアモール、セルジ・バルフアン、イバン・デ・ラ・ペーニャ、フェルナンド・コウト、フアン・アントニオ・ピッツィ、ミハエル・ライツィハーなどだったが、ミニ・エスタディで行なわれた試合を1-1の引き分けに持ち込み、PK戦に4-3で勝利してエウロパが優勝した。