Bリーグ1 | 05/04 06:05 | - | シーホース三河 vs 三遠ネオフェニックス | - | View | |
Bリーグ1 | 05/05 06:05 | - | シーホース三河 vs 三遠ネオフェニックス | - | View |
Bリーグ1 | 04/28 06:05 | - | [1] 三遠ネオフェニックス v 富山グラウジーズ [8] | W | 103-80 | |
Bリーグ1 | 04/27 06:05 | - | [1] 三遠ネオフェニックス v 富山グラウジーズ [8] | W | 89-64 | |
Bリーグ1 | 04/21 05:05 | - | [4] 渋谷サンロッカーズ v 三遠ネオフェニックス [1] | L | 66-63 | |
Bリーグ1 | 04/20 08:05 | - | [4] 渋谷サンロッカーズ v 三遠ネオフェニックス [1] | L | 92-87 | |
Bリーグ1 | 04/17 10:05 | - | [1] 三遠ネオフェニックス v 信州ブレイブウォリアーズ [7] | W | 95-75 | |
Bリーグ1 | 04/14 05:05 | - | 横浜ビーコルセアーズ v 三遠ネオフェニックス | W | 92-99 | |
Bリーグ1 | 04/13 06:05 | - | [6] 横浜ビーコルセアーズ v 三遠ネオフェニックス [1] | W | 82-90 | |
Bリーグ1 | 04/10 10:05 | - | [8] 富山グラウジーズ v 三遠ネオフェニックス [1] | W | 62-96 | |
Bリーグ1 | 04/07 06:05 | - | [1] 三遠ネオフェニックス v 大阪エヴェッサ [6] | W | 101-81 | |
Bリーグ1 | 04/06 06:05 | - | [1] 三遠ネオフェニックス v 大阪エヴェッサ [6] | W | 96-79 | |
Bリーグ1 | 03/31 05:05 | - | [6] 仙台エイティナイナーズ v 三遠ネオフェニックス [1] | W | 81-100 | |
Bリーグ1 | 03/30 07:05 | - | [6] 仙台エイティナイナーズ v 三遠ネオフェニックス [1] | L | 82-75 |
三遠ネオフェニックス(さんえんネオフェニックス、英: San-en Neophoenix)は、日本のプロバスケットボールチーム。B.LEAGUE B1 中地区所属。ホームタウンは愛知県豊橋市及び静岡県浜松市。1965年創設。旧名称は浜松・東三河フェニックス。三遠とは、東三河(愛知県東部)と遠州(静岡県西部)の総称・略称。
オーエスジーのバスケットボール部として1965年創部。創部者である大沢茂樹により「不死鳥のように」との願いを込めて「オーエスジーフェニックス」と名づけられた。
1985年、愛知県実業団リーグに登録。11部からスタートし、1994年に2部昇格。1995年、全日本実業団バスケットボール選手権大会に初出場。1997、98年の全日本実業団選手権で連覇。1998年には全日本総合バスケットボール選手権大会(オールジャパン)に初出場。同年4月、共同石油女子バスケットボール部(現・ENEOSサンフラワーズ)を強豪化に導いた中村和雄が監督に就任する。
1999年、全日本実業団バスケットボール競技大会で優勝し日本リーグ昇格。2000年、オールジャパンでベスト8、日本リーグ2部で優勝を果たす。いすゞ自動車ギガキャッツとボッシュブルーウィンズの撤退に伴い、新潟アルビレックス(現・新潟アルビレックスBB)とともに2002年よりスーパーリーグに参戦。
2003年と2007年のオールジャパンでベスト4進出、2005-06にスーパーリーグ準優勝。
プロ化に対しては積極的であり、旧JBLがプロ化を見据えて日本バスケットボールリーグ(JBL)を創設した際には最初に参加に手を上げた。2007年からはチーム名に「東三河」を付け「オーエスジーフェニックス東三河」とし、豊橋市総合体育館をホームアリーナとした。
2007年のシーズン終了後、2008年からのbjリーグ参戦の検討を始めた。理由として、JBL新リーグがプロ化するにあたり、参加予定の8チームの中でオールプロのチームがオーエスジーを含めた3チームのみだったことに加え、地域密着を目指すオーエスジーの方針が同じく地域密着を目指すbjリーグの方針と合致したことなどが挙げられる。また、月刊バスケットボールのインタビュー記事で「我々は30年以上日本連盟でプレーしてきたが、何も変わらなかった。プロリーグであるbjリーグに転籍すれば間違いなく変われる。」とインタビューで述べていることから、転籍に対して相当な意気込みを見せている。
2007-08シーズンはJBL新リーグに参加。その後bjリーグ参加申請の結果、2008-09シーズンからの参加が可能になった。また、bj転籍に伴い浜松市と豊橋市を含む愛知県東三河地区とのダブルフランチャイズとし、チーム名は「浜松・東三河フェニックス」に変更となった(略称は自治体名の「浜松」)。ホームアリーナは豊橋市総合体育館のみから浜松市の浜松アリーナと浜北総合体育館、東三河の豊橋市総合体育館、豊川市総合体育館に増加する。2008-09、2009-10の2シーズンは東西交流戦のうちの2試合を北海道旭川市で開催していた。練習拠点は引き続き豊川市のオーエスジースクエア(オーエスジー豊川工場の敷地内にある)に置く。チーム運営会社は株式会社フェニックスコミュニケーションズとなり、オーエスジー本社は出資企業のひとつとしてチーム運営を継続する他、浜松・東三河地区の企業の出資も仰ぐ。なお、参入決定後、既にbjリーグに参戦しているライジング福岡とのプレシーズンマッチを予定していたが、JBL及び日本バスケットボール協会に認められず中止になった。
JBL、そしてオーエスジーフェニックス東三河としてのラストシーズンは総合3位で終えた。シーズン終了後、オーエスジーに所属していた選手は全員移籍選手リストに提示され、川村卓也、朝山正悟といった日本代表級選手がJBLの他チームに移籍し、大口真洋、太田敦也、岡田慎吾、堀田剛司といった選手が浜松・東三河フェニックスに残留し、新たに孫明明、ジョシュ・ペッパーズ、アダム・ザーン、アンディー・エリスらが加わった。ヘッドコーチ(HC)はオーエスジーHCの中村和雄が引き続き務める。
bjリーグ開幕に先立ち、10月に浜松アリーナで東京Aと、ロシアのMBCディナモ・モスクワとのプレシーズンマッチを開催した。
開幕戦は10月18日に仙台と行い、勝利を収めた。5連敗を喫した時期もあったが、シーズン後半に2度の10連勝を記録。イースタンカンファレンス1位でプレイオフに進出する。カンファレンスセミファイナルでは新潟を下したが、カンファレンスファイナルで東京Aに惜敗、3位決定戦で大阪を破り参入初年度は総合3位で終えた。
レギュラーシーズンでは2008-09シーズンの琉球と並ぶシーズン最高勝率(.788)を記録し、2年連続東地区1位でプレイオフに進出する。カンファレンスセミファイナルでは東京Aと対戦し、2連勝でファイナル4に進出。カンファレンスファイナルでは大口真洋がbjリーグ新記録となる10本の3ポイントシュートを決める活躍を見せ、新潟に逆転勝利。ファイナルでは大阪を破り、bjリーグ初優勝を果たした。東地区のチームが優勝するのは初めてである。レギュラーシーズンMVPにはウェンデル・ホワイト、プレイオフMVPは大口真洋がそれぞれ受賞した。
プレシーズンマッチとして行なわれたbj-KBL チャンピオンシップゲームズでは蔚山モービスフィバスと対戦、1勝1敗だったものの得失点差で勝利し日本勢として初の単独優勝となった。2011年1月15日に行われた高松戦(豊橋)での勝利をもちbjリーグレギュラーシーズン通算100勝に到達。勝率.870(40勝6敗)というリーグ新記録でこのシーズンも地区1位となりプレーオフに進出。中心選手だったジャメイン・ディクソンが東日本大震災の影響で退団・帰国しプレイオフに向けてチームの再構成を迫られた(なお、ディクソンは翌シーズンに復帰)。カンファレンスセミファイナルでは富山に、カンファレンスファイナルでは新潟にそれぞれ勝利し、ファイナルでも琉球を下して連覇を達成。MVPはジェフリー・パーマーがレギュラー・プレイオフの両方で受賞した。
シーズン終了後に中村HCが契約満了に伴い退団し、新HCにチーム統括だった河合竜児が就任。
開幕直後に新規参入チーム横浜、千葉との4連戦で1勝3敗とつまづいたが、その後外国籍選手の入れ替えなどで立て直して、4シーズン連続でイースタンカンファレンス1位となる。プレイオフカンファレンスセミファイナルでは新潟を、カンファレンスファイナルでは横浜を降してファイナルに進出したが、ファイナルで琉球に敗れて3シーズン連続優勝はならなかった。
このシーズンより西地区所属に変更された。2013年3月に河合HCが解任され、東野智弥が就任。地区6位となり、初めてプレーオフのホーム開催権を逃した。ウエスタンカンファレンス・ファーストラウンドで3位の島根と対戦して2連敗で敗退。
下位チームとの対戦が続いたシーズン中盤に9連勝を記録し、一時は2位争いをしていたが、終盤の3,4月に連勝を一度もできず西地区4位に順位を下げた。プレイオフ・カンファレンスファーストラウンドでは5位の福岡に勝利したが、カンファレンスセミファイナルでは琉球に完敗した。
レギュラーシーズンは西地区3位でプレイオフに進出。カンファレンスセミファイナルで琉球に2連勝してファイナル4に進出。カンファレンスファイナルでは滋賀に勝利。ファイナルでは秋田を破り、4年ぶり3回目のbjリーグ優勝を果たした。
レジー・ウォーレンを始め、実績のある外国人選手を獲得して開幕を迎えた。シーズン中は相次ぐ外国人選手の入れ替えなどもあり苦戦するが、レギュラーシーズンをウエスタンカンファレンス4位で通過し、プレイオフホーム開催権を得る。プレイオフ・ファーストラウンドで滋賀と対戦。第1戦はオーバータイムに突入するなど一進一退の争いを繰り広げたが連敗でセミファイナル進出を逃した。
シーズン終了後、東野HCが契約満了となり、日本バスケットボール協会の技術委員会委員長への就任が発表された。
B.LEAGUEが発足し、B1中地区への参入が決定。合わせてリーグ発表の公式なホームタウンを豊橋市、ホームアリーナを豊橋市総合体育館に定め、2016-17シーズンはホームゲームの8割を豊橋市総合体育館、残りの2割を浜松アリーナで開催することが決定した。これによって、JBL時代からホームゲームを開催してきた豊川市総合体育館を始め、豊橋、浜松以外での開催はなくなった。また、リーグが定めた規定により、2016年7月1日よりクラブ名を「三遠ネオフェニックス」へ変更した。
クラブOBの藤田弘輝が新HC(3年契約)に、河内修斗がアソシエイトヘッドコーチに就任した。前シーズンに所属していた大石慎之介、大口真洋、太田敦也、川満寿史、岡田慎吾、並里祐、田渡修人の7名と契約を継続したほか、新たに奈良から鈴木達也、信州から鹿野洵生を獲得。外国人選手は、2014-15シーズンの優勝に貢献したオルー・アシャオル、ロバート・ドジャー、リチャード・ロビーの3選手を獲得した。11月にジョシュ・チルドレスと契約。レギュラーシーズンは旧bjリーグのチームとしては最高の勝率で川崎に次ぐ中地区2位となり、全体6位でのチャンピオンシップへの出場を果たしたが、クォーターファイナルではA東京に惜敗し、シーズンを終えた。
藤田体制2シーズン目。中地区6チーム中4位に順位を下げ、プレーオフ進出を逃した。
藤田体制3シーズン目。勝率4割を切り、中地区6チーム中5位。
ブライアン・ロウサムが新HCに就任。開幕10連敗でロウサムとの契約を解除。河内修斗ACがHCに就任し、17戦目でシーズン初勝利を記録した。リーグ最低のシーズン5勝で中地区6チーム中最下位。
コロナウイルス感染症の影響でリーグが東西2地区制となり、三遠は西地区所属となった。ブラニスラフ・ヴィチェンティッチが新HC、ウラジミール・ヨヴァノヴィッチがアドバイザーに就任。西地区10チーム中9位に終わる。
ヴィチェンティッチ体制2シーズン目。このシーズンも開幕から低迷し、10月24日の茨城戦の勝利を最後に10月27日の名古屋D戦から12月26日の三河戦まで14連敗を喫するなど成績不振に陥る。ヴィチェンティッチHCは2月2日付で休養し、清水太志郎ACがHC代行として就任した。3月4日付けでヴィチェンティッチHCは契約解除となった(ヴィチェンティッチ自身は東京ZのHCに就任)。また、外国籍選手の負傷も相次いだ。
最終戦(秋田戦GAME2)終了後、今季限りで北郷謙二郎が退任すると発表された。また、アリーナMCのとしみんこと鶴田俊美氏もアリーナMCを引退することを発表した。
昨シーズンまで千葉JのHCを務めた大野篤史が就任した他、選手面でも島根から金丸晃輔、千葉Jから大宮宏正、横浜BCから土屋アリスター時生、三河から根來新之助、カイル・コリンズワース、B2熊本から佐々木隆成など実績のある選手を獲得した。