南アフリカカップ | 05/05 13:00 | 2 | ステレンボッシュFC vs マメロディ・サウダウンズFC | - | View | |
南アフリカ プレミア | 05/08 17:30 | 17 | ゴールデン・アローズ vs マメロディ・サウダウンズFC | - | View | |
南アフリカ プレミア | 05/11 13:00 | 28 | マメロディ・サウダウンズFC vs ロイヤルAM FC | - | View | |
南アフリカ プレミア | 05/18 13:00 | 29 | ステレンボッシュFC vs マメロディ・サウダウンズFC | - | View | |
南アフリカ プレミア | 05/25 13:00 | 30 | マメロディ・サウダウンズFC vs ケープタウン・シティ | - | View |
南アフリカ プレミア | 05/02 17:30 | 27 | [8] カイザーチーフスFC v マメロディ・サウダウンズFC [1] | W | 1-5 | |
南アフリカ プレミア | 04/29 17:30 | 12 | [1] マメロディ・サウダウンズFC v TSギャラクシー [5] | W | 3-0 | |
CAFチャンピオンズリーグ | 04/26 18:00 | 2 | [1] マメロディ・サウダウンズFC v エスペランス・ドゥ・チュニス [2] | L | 0-1 | |
南アフリカ プレミア | 04/23 17:30 | 26 | [1] マメロディ・サウダウンズFC v セクフネ・ユナイテッド [4] | W | 2-1 | |
CAFチャンピオンズリーグ | 04/20 19:00 | 2 | [2] エスペランス・ドゥ・チュニス v マメロディ・サウダウンズFC [1] | L | 1-0 | |
南アフリカ プレミア | 04/15 17:30 | 25 | [14] モロカスワローズ v マメロディ・サウダウンズFC [1] | D | 2-2 | |
南アフリカカップ | 04/12 17:00 | 3 | プレトリア大学 v マメロディ・サウダウンズFC | W | 4-5 | |
南アフリカ プレミア | 04/09 17:30 | 24 | [16] ケープタウン・スパーズ v マメロディ・サウダウンズFC [1] | W | 0-1 | |
CAFチャンピオンズリーグ | 04/05 18:00 | 3 | [1] マメロディ・サウダウンズFC v ヤングアフリカンズFC [2] | W | 3-2 | |
南アフリカ プレミア | 04/02 17:30 | 23 | [1] マメロディ・サウダウンズFC v リチャーズ・ベイFC [15] | W | 1-0 | |
CAFチャンピオンズリーグ | 03/30 18:00 | 3 | [2] ヤングアフリカンズFC v マメロディ・サウダウンズFC [1] | D | 0-0 | |
南アフリカカップ | 03/17 16:00 | 4 | マメロディ・サウダウンズFC v マリッツバーグ・ユナイテッド | W | 2-0 |
Total | Home | Away | |
---|---|---|---|
Matches played | 56 | 27 | 29 |
Wins | 35 | 18 | 17 |
Draws | 17 | 8 | 9 |
Losses | 4 | 1 | 3 |
Goals for | 89 | 45 | 44 |
Goals against | 24 | 10 | 14 |
Clean sheets | 36 | 18 | 18 |
Failed to score | 12 | 5 | 7 |
マメロディ・サンダウンズFC(Mamelodi Sundowns Football Club)は、南アフリカ共和国・プレトリアを本拠地とするサッカークラブ。
1996年にプレミアサッカーリーグが設立されて以来、同リーグを7回制覇している強豪である。愛称としてThe Braziliansが挙げられるが、これはクラブのユニフォームがブラジル代表のそれと似ている事からつけられている。
プレトリアのマラバスタッドで1960年代初頭に若者達によって設立された。その後1970年に公式なサッカークラブになった。
1973年に連邦プロサッカーリーグに加盟、同年にはコカコーラカップで決勝に進出する快挙を達成したものの、ベレア・ユナイテッドFCに5-3で敗れた。
1978年に同リーグが縮小され2部が設立されると、2部落ちした。昇格を狙う戦いは5年間に及び、その間にフロント側がクラブの解散を決定した事もあったが、するとその代替として新たにクラブが設立されたため、実質的にクラブは引き継がれた。
1984年に南アフリカ共和国では初めて人種に依らないサッカーリーグであるナショナルサッカーリーグが設立され、翌1985年に昇格しこれに参加した。しかしゾラ・マホベ所有の下迎えた初シーズンは厳しい結果となった。
1988年にはクラブの所有権がスタンダード銀行へと渡るが、その後ゾラ・マホベが所有権を取り返した。クラブは清算の危機を迎えるが、サッカー一家であったがTsichlas家が銀行を説得し、この危機を脱した。その後同家は企業を設立、株式全てを買い取り躍進を遂げた。この時に初めてのタイトルを獲得している。
1990年代に入ると黄金期に入り、多くのトロフィーを獲得した。1996年にナショナルプレミアリーグが設立されると、1998年から2000年にかけてリーグも3連覇した。
CAFチャンピオンズリーグ2001では決勝にまで進んだものの、アル・アハリに合計4-1とされ敗北した。
2004年にはクラブの発展に大きく寄与したTsichlas家からパトリック・モトセペが51%の株を取得、後に残りの49%も取得した。新たなオーナーの下でもクラブは強く、2006年5月にはミヘル・アンヘル・ガムンディ、ネイル・トビー監督の下リーグを制し、7回目のリーグ制覇となった。
2006-07シーズンは低調な出だしとなったが、ゴードン・イゲスンドを監督に据えるとリーグを連覇した。ネドバンク・カップも決勝に進出し、ダブルでのタイトル獲得も期待されていたが、アヤックス・ケープタウンFCに敗れた。
2009-10シーズンも前半は低調であったが、監督がテッド・ドゥミトルからフリスト・ストイチコフに代わると後半で巻き返し最終的に二位につけた。
翌2010-11シーズンではストイチコフ体制でアシスタントコーチを務めていたアントニオ・ロペス・ハバスが監督に昇格すると、前半を首位で折り返した。しかし後半に失速し最後2戦で優勝を逃すと辞任。アシスタントコーチであったイアン・ゴロワが代理として監督に昇格した。その後、ヨハン・ニースケンスが監督に就任した。
2012年3月4日にはネドバンク・カップのパワーラインズFC戦で24-0の勝利を収めて同国史上初めてのサッカー記録を打ち出した。
2016年にはFIFAクラブワールドカップに出場し、12月11日に吹田サッカースタジアムで鹿島アントラーズと対戦したが0-2で敗れ、12月14日に5位決定戦に回るもアジア王者である全北現代モータースにも1-4で敗れ、一勝も挙げることができずに日本を去った。