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06/15 05:05 | 10 | イースタン・サバーブス v マンリー | View |
06/15 05:05 | 10 | イーストウッド v シドニー大学 | View |
06/15 05:05 | 10 | ゴードン v ウェストハーバー | View |
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06/15 05:05 | 10 | ウエスタンシドニ・ツーブルーズ v ウォリンガ | View |
06/15 05:05 | 10 | Hunter v ノーザンサバーブス | View |
06/22 05:05 | 11 | イーストウッド v ランドウィック | View |
06/22 05:05 | 11 | マンリー v Hunter | View |
06/22 05:05 | 11 | ノーザンサバーブス v ゴードン | View |
06/22 05:05 | 11 | サザン・ディストリクト v イースタン・サバーブス | View |
06/22 05:05 | 11 | シドニー大学 v ウエスタンシドニ・ツーブルーズ | View |
06/22 05:05 | 11 | ウォリンガ v ウェストハーバー | View |
06/29 05:05 | 12 | イースタン・サバーブス v ランドウィック | View |
06/29 05:05 | 12 | ゴードン v マンリー | View |
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06/29 05:05 | 12 | ウォリンガ v シドニー大学 | View |
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06/29 05:05 | 12 | ウエスタンシドニ・ツーブルーズ v Hunter | View |
07/06 05:05 | 13 | イーストウッド v Hunter | View |
07/06 05:05 | 13 | ウォリンガ v マンリー | View |
07/06 05:05 | 13 | ノーザンサバーブス v ウェストハーバー | View |
07/06 05:05 | 13 | ランドウィック v ゴードン | View |
07/06 05:05 | 13 | シドニー大学 v サザン・ディストリクト | View |
07/06 05:05 | 13 | ウエスタンシドニ・ツーブルーズ v イースタン・サバーブス | View |
07/13 05:05 | 14 | ゴードン v イースタン・サバーブス | View |
07/13 05:05 | 14 | マンリー v サザン・ディストリクト | View |
07/13 05:05 | 14 | ノーザンサバーブス v ウエスタンシドニ・ツーブルーズ | View |
07/13 05:05 | 14 | ウォリンガ v イーストウッド | View |
07/13 05:05 | 14 | ウェストハーバー v ランドウィック | View |
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シュートシールド(英: Shute Shield)は、オーストラリアにおけるラグビーユニオンの地域リーグの1つ。シドニーを中心とするニューサウスウェールズ州の最高峰リーグである。
1874年、シュートシールドの起源となるプレミアクラブ・オブ・ザ・コロニー(Premier Club of the Colony)が創設。南半球で最初のラグビー選手権であった。当時はまだ明確な運営規則が存在しておらず、試合数はチームによりまちまちで、優勝の基準も不明確であった。
1883年、ガーディナー・チャレンジカップ(Gardiner Challenge Cup)となり、同時にスコアの算定方法や勝敗の基準が明確化された。
1900年、ディストリクト・プレミアシップ(District Premiership)となり、地区代表チームによるリーグ戦方式に改編された。シドニー近郊の各地区代表7チーム(ノース・シドニー、イースタンサバーブス、ウェスタンサバーブスなど)と、シドニー大学代表チーム(シドニー・ユニヴァーシティFC)の計8チームが大会に出場した。これに先立ち、従来の参加チームは統廃合などを経て地区代表チームとして再編された。
1922年、ラグビーの試合中の事故により23歳で逝去したロバート・エリオット・スチュワート・シュートを悼んで『シュートシールド』が作製され、翌1923年から大会の優勝盾として授与されるようになった。同時に、大会名がシュートシールドと改められた。