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コパ・アメリカ・南エリア 06/28 01:00 2 ウルグアイ v ボリビア - View
コパ・アメリカ・南エリア 07/02 01:00 3 アメリカ v ウルグアイ - View

サッカーウルグアイ代表(サッカーウルグアイだいひょう、西: Selección nacional de fútbol de Uruguay)は、ウルグアイサッカー協会(AUF)によって構成される、ウルグアイのサッカーのナショナルチームである。

愛称は、代表チームのユニフォームカラーから「セレステ」など。ホームスタジアムは、首都モンテビデオにあるエスタディオ・センテナリオ。

History

前史

第1回FIFAワールドカップ大会で優勝したウルグアイ代表

ウルグアイ代表による最初の試合は1901年5月16日のアルゼンチン戦であったが、この試合はウルグアイサッカー協会が主催したものではなく、ウルグアイ最古のクラブチームであるアルビオンFCが主催したもので公式戦とはみなされていない。この試合ではウルグアイ側は9人がアルビオンから、残りがナシオナル・モンテビデオの選手が召集された。ウルグアイ代表が初めて公式戦を行ったとされる試合は、1902年7月20日に行われたアルゼンチン戦だった。ウルグアイは約8,000人の観客の前で0-6で敗れた。

20世紀前半において世界屈指の強豪国として君臨し、1924年、1928年のオリンピックで連覇。ワールドカップでは1930年に憲法発布100周年を記念し開催された地元での第1回大会、1950年のブラジル大会で優勝。コパ・アメリカではブラジルを抑えてアルゼンチンと並び、最多となる15回の優勝を誇る。

1970年代以降はワールドカップでは度々南米予選で敗退するようになり、国際タイトルからも1995年のコパ・アメリカを最後に遠ざかるなど長きに渡り低迷していた。一方で、選手個人では欧州トップリーグで活躍する選手を多く輩出していたため、「古豪」と紹介されることが多かった。

2010年代

2010年のワールドカップ南アフリカ大会でも、予選では大陸間プレーオフで出場権を手にするなど苦戦したが、本大会ではディエゴ・フォルラン、ルイス・アルベルト・スアレス、エディンソン・カバーニらの活躍もあり、開催国南アフリカも含むグループAを2勝1分かつ無失点で突破し、決勝トーナメントでは韓国、ガーナを下すも準決勝でオランダに2-3で競り負けて決勝進出はならず、さらに3位決定戦でもドイツに2-3で競り負け4位に終わったが、下馬評を覆して40年ぶりのベスト4入りを果たす。フォルランは、ウルグアイ代表初の大会得点王とMVPに輝いた。古豪の復活をたたえ、帰国後の凱旋パレードではおよそ50万人の国民が出迎えた。

2011年の南米ユース選手権(U-20の大会)では準優勝し、2011 FIFA U-20ワールドカップへの出場権を得ると同時に、1928年に優勝した以来84年ぶり(18大会ぶり)にオリンピック本大会へ出場(2012年ロンドンオリンピックのサッカー競技も参照)。さらに同年のコパ・アメリカ2011ではグループリーグを2位通過すると準々決勝でアルゼンチンを下し、決勝でもパラグアイに3-0で勝利。6大会ぶり15度目の優勝を果たし、強豪国としての地位を取り戻しつつある。

2014年ブラジルW杯のイングランド戦のウルグアイサポーター

2014年のワールドカップブラジル大会では前回同様予選では苦戦し、2002年の日韓大会から4大会連続で大陸間プレーオフに回るも、ヨルダンを下して本大会出場権を獲得。GLではイタリア、イングランドといった強豪国を下しグループ2位で突破したが、決勝トーナメント1回戦でハメス・ロドリゲスらを擁する同じ南米のコロンビアに敗れた。

オーストリアとの親善試合(2017年)

2018年のワールドカップロシア大会では、南米予選第17節の時点で2位(最低5位で大陸間プレーオフ確定)につけていたがチリ(第17節終了時点で3位)、コロンビア(第17節終了時点で4位)、ペルー(第17節終了時点で5位)、アルゼンチン(第17節終了時点で6位)、パラグアイ(第17節終了時点で7位)と本大会出場を争う混戦となっていた。最終節でボリビアを逆転で下して予選2位をキープし、本大会出場を果たした。本大会では開催国ロシアのほか、サウジアラビア、エジプトと同じグループAに入り、3勝0敗で首位通過及び唯一無失点のまま決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦ではポルトガルと対戦しカバーニの2ゴールで2-1で勝利したものの、カバーニがポルトガル戦途中で左足脹脛を負傷して退場、準々決勝ではそのカバーニを怪我で欠いたこともあり、フランスに0-2で敗れ2010年大会以来となる準決勝進出を逃した。

2020年代

2021年から2022年にかけて開催された2022 FIFAワールドカップの予選では、第14節のボリビア代表戦で0-3と完敗した後に15年以上代表を率いていたオスカル・タバレス監督を解任し、ディエゴ・アロンソを新監督に据えた。その結果、就任後の3試合で全勝したことで、残り1節を残してワールドカップ本大会出場を確定させた。前任者のタバレスはA代表だけでなく、ユース世代の代表強化にも力を入れた。タバレスの就任以降、将来有望な若手選手には必ずU-20世代別代表を通してからA代表へと招集するようになった。

14回目のW杯となったカタール大会では、ポルトガル、韓国、そして2010年の南アフリカ大会でスアレスのハンドが影響してウルグアイに敗れたガーナと同じグループHに組み分けされた。本大会ではスアレスの他、カバーニやゴディンといったベテランとヌニェス、バルベルデ、ペリストリら若手をバランス良く招集。初戦の韓国戦ではお互い攻撃的な展開となったが、2度のポストに嫌われるなど決め手を欠いて得点を奪えず0-0のスコアレスドローで勝ち点を分け合った。続くポルトガル戦ではブルーノ・フェルナンデスに2得点を挙げられ0-2で敗れた。2試合無得点未勝利のグループ最下位で迎えたガーナ戦では、GKのセルヒオ・ロシェがPKストップを含むファインセーブを連発。攻撃面でもジョルジアン・デ・アラスカエタが2ゴールを決めて4大会連続でグループステージを突破するかと思われた。しかし、同時開催していたポルトガル代表と韓国代表の試合で韓国が試合終盤に逆転勝利したことで、状況が一変。韓国に対して勝ち点と得失点差で並ぶも総得点が「2」少なかったことにより、ガーナに2-0で勝利したが、3位でのグループステージ敗退が決まった。アロンソはカタール大会後に監督を退任したが後継が決まらぬまま2023年3月24日の日本代表戦を迎えたため、同試合はU-20代表監督のマルセロ・ブロリが代行で務めることとなった。


ウルグアイは、南アメリカに位置する国であり、サッカーの強豪国として知られています。ウルグアイ代表は、1930年に開催された第1回ワールドカップで優勝し、1950年にはブラジルを破って2回目の優勝を果たしました。また、1924年、1928年、1935年に開催された南米選手権(現コパ・アメリカ)でも優勝しており、南米サッカー界を代表する国の一つです。

ウルグアイ代表の特徴は、堅固な守備と強力な攻撃陣です。守備陣には、ディエゴ・ゴディン、ホセ・マリア・ヒメネス、マルティン・カセレスなど、世界屈指のディフェンダーが揃っています。攻撃陣には、ルイス・スアレス、エディンソン・カバーニ、ディエゴ・フォルランなど、世界有数のストライカーが名を連ねています。

ウルグアイ代表は、2010年のワールドカップで4位、2018年のワールドカップで8強に進出するなど、常に上位進出を果たしています。2022年のワールドカップでも、優勝候補の一つに挙げられています。