結果

V1リーグ 03/30 03:00 31 ウルフドッグス名古屋 v 大阪堺ブレイザーズ L 3-2
V1リーグ 03/23 06:00 3 JTサンダーズ v 大阪堺ブレイザーズ L 3-1
V1リーグ 03/17 03:00 1 [5] 大阪堺ブレイザーズ v ジェイテクトSTINGS [8] L 0-3
V1リーグ 03/16 03:05 1 大阪堺ブレイザーズ v ジェイテクトSTINGS W 3-0
V1リーグ 03/10 04:00 1 JTサンダーズ v 大阪堺ブレイザーズ L 3-1
V1リーグ 03/09 04:00 1 JTサンダーズ v 大阪堺ブレイザーズ W 0-3
V1リーグ 03/03 06:00 1 [7] 東京グレートベアーズ v 大阪堺ブレイザーズ [5] L 3-0
V1リーグ 03/02 06:00 1 [7] 東京グレートベアーズ v 大阪堺ブレイザーズ [5] L 3-2
V1リーグ 02/24 07:00 1 [1] パナソニック・パンサーズ v 大阪堺ブレイザーズ [5] L 3-1
V1リーグ 02/23 09:00 1 [1] パナソニック・パンサーズ v 大阪堺ブレイザーズ [5] L 3-1
V1リーグ 02/18 03:00 1 [5] 大阪堺ブレイザーズ v サントリー・サンバーズ [2] L 0-3
V1リーグ 02/17 03:05 1 [5] 大阪堺ブレイザーズ v サントリー・サンバーズ [2] L 0-3

日本製鉄堺ブレイザーズ(にっぽんせいてつさかいブレイザーズ、英語: NIPPON STEEL SAKAI BLAZERS)は、大阪府堺市に本拠を置く男子プロバレーボールクラブチーム。2023-24シーズンはV.LEAGUE DIVISION1 MEN(V1男子)に所属。

History

1939年(昭和14年)に福岡県八幡市(現・北九州市)の日本製鐵八幡製鐵所がバレーボール部を結成。戦時中は休部したが終戦の翌年に当たる1946年(昭和21年)に復活、翌1950年、全日本(9人制)実業団選手権で優勝し、以降も優勝を重ねて1962年までに通算5回優勝。また、1961年より開催された全日本6人制実業団選手権の第1回大会でも優勝している。1967年に日本リーグ(現・Vプレミアリーグ)が始まり、初代チャンピオンに輝く。

1969年に大阪府堺市の八幡製鐵堺製鐵所に拠点を移し、1970年(昭和45年)に、八幡製鐵が合併で新日本製鐵(新日鉄)に社名変更することに伴い、チーム名も「新日鐵バレー部」と変更。1970/71シーズンの第4回日本リーグで6チーム中5位となり、入替戦でも連敗し、実業団リーグ(2部相当 現・Vチャレンジリーグ)に降格する。1971/72シーズンの第3回実業団リーグでは3位に留まるが、1972/73シーズンの第4回実業団リーグでは、中村祐造監督の厳しい練習の成果で柳本晶一や小田勝美、田中幹保を擁して優勝。入替戦でも勝ち3シーズンぶりの日本リーグ復帰となった。復帰戦となった1973/74シーズンの第7回日本リーグでいきなり優勝。以降、第10回大会まで4連覇を果たす。

全日本都市対抗優勝大会(現・黒鷲旗)でも1973-1976年に4連覇を果たした。第12-14回日本リーグ、第22-24回日本リーグでも3連覇を達成している。黒鷲旗でも1988-1990年に3連覇を果たす。日本リーグでは1993/94シーズンの第27回までに全部で12回の優勝を果たした。

1994年(平成6年)に日本リーグに替わりVリーグ開幕。チーム名も『新日鐵ブレイザーズ』となる。

Vリーグでは1994/95シーズンの第1回大会、翌シーズンの第2回大会と連続の準優勝に甘んじたが、1996/97シーズンの第3回大会では眞鍋政義、植田辰哉、中垣内祐一をはじめとする主力選手を擁して優勝。翌シーズンの第4回大会も連覇した。

1998/99シーズンの第5回Vリーグは序盤で躓き6位。1999/2000シーズンの第6回Vリーグはレギュラーラウンドを1位突破するもの、決勝ラウンドでサントリーサンバーズに敗れ4位で終わる。

2000年(平成12年)、新日鉄のスポーツ事業運営の見直しを図る観点から新日鐵バレー部としては一旦幕を下ろし、本拠地の堺市に密着した総合スポーツクラブを目指し、新日鉄完全出資の子会社「ブレイザーズスポーツクラブ」を設立。チーム名もVリーグ開幕時からの「新日鉄ブレイザーズ」から「堺ブレイザーズ」に変更され、実業団チームからVリーグ男子では初のプロクラブチームとなった。

2004年(平成16年)、かつてのスーパーエースだった中垣内が現役引退し、監督に就任(2009年5月まで)。

2005/06シーズン、第12回Vリーグで8年ぶりとなるクラブ化後初の優勝を果たす。大阪市立中央体育館で2試合行われ、サントリーサンバーズとの大阪対決となった。2試合共3-2で勝利し激闘を制した。また、同シーズンにおいて、堺市金岡公園体育館でのホームタウンマッチ3試合において、それぞれの試合における優秀賞に対する賞金を贈る事を決め、勝利チームのその試合の最優秀賞1名に20万円、敗戦チームにも敢闘賞1名に10万円を贈るとしている。

2008/09シーズン、決勝で東レアローズに0-3で敗れ優勝ならず。

2009年、2008/09シーズン終了をもって、中垣内が指導者海外研修のため監督を退任し、コーチの酒井新悟が監督に昇格した。

2009/10シーズン、2年連続決勝進出するもパナソニックパンサーズに0-3で敗れる。

2010/11V・プレミアリーグでも優勝を果たしたが、東日本大震災によるリーグ打ち切りにより、リーグ打ち切り時点の暫定成績の順位でシーズン順位を決められたものである。

2012/13V・プレミアリーグ決勝でパナソニック・パンサーズと対戦。セットカウント3-1で勝利し2年ぶりの優勝を果たす。セミファイナルラウンド・ファイナルラウンドを戦い抜いての優勝は7年ぶりである。新外国人のミラン・ペピチの活躍や、石島雄介、松本慶彦などシーズン通してチームと選手が好調だった。

2013/14V・プレミアリーグは3位。3位決定戦で東レ・アローズに3-2で勝利。

2014年、酒井がJVAアンダーカテゴリープロジェクトである「TeamCORE」監督就任のため監督を退任。

酒井の後任として、ノルウェーで8年間指導を行ってきた印東玄弥が監督に就任した。4枚同時攻撃を重要視したヨーロッパスタイルで挑み、1年目のシーズンは、天皇杯で3位、Vリーグ4位、黒鷲旗3位、2年目は6位の結果で、印東は2016年に契約満了をもって退任となった。後任として、強豪チームやナショナルチームでの指導経験が豊富である真保綱一郎が就任。しかし、チームは浮上せず、真保は2019年に契約満了をもって退任。その後、チームOBである千葉進也が部長に就任し、2002年から2シーズン監督を務めていたゴーダン・メイフォースが監督に再任した。それでもチームは上昇せず、2021年にメイフォースは退任した。後任として、2シーズン部長を務めている千葉が監督に就任した。

2021年、東京オリンピック終了後に代表監督を退任した中垣内祐一が4年半ぶりにチームに復帰し部長に就任した。

2021-22シーズン、監督に就任した千葉は、優勝から遠ざかっているチームの意識改革に手をつけ、個人の技術力向上を掲げ、夏場から地味で厳しい練習に多く取り組んだ。V1男子では、12月までの試合で11勝3敗の2位につけ、意識改革の成果が出る。天皇杯では決勝に進出し、決勝でウルフドッグス名古屋にフルセットで敗れ準優勝となったが、ファイナルセットでもデュースに持ち込み優勝まであと一歩のところまで来た。2022年に入ってからも勝ち星を重ね、V・レギュラーラウンド36試合中34試合を終えた時点で24勝10敗と大きく勝ち越し、ファイナルステージ進出に必要な同ラウンド3位以内も見えていた。しかし、チーム内で複数名が新型コロナウイルス感染症の陽性判定を受けたことにより2022年3月12日-13日のウルフドッグス名古屋戦2試合の出場を辞退したため、その再試合を模索するが、リーグ終盤だったこともあり日程を確保できず、Vリーグの「新型コロナウイルス対策に関する規程」によりこの2試合が不戦敗扱いとなり、それが響きファイナルステージ進出はなくなり、5位で当シーズンを終えることとなった。

2022-23シーズン、V1男子のV・レギュラーラウンドで4位に入り、8シーズンぶりのベスト4に進出。ファイナル4では4位となったが、優勝するために何が必要かを再認識できるような手応えのあるシーズンとなった。

2023年10月2日、チーム名が「堺ブレイザーズ」から「日本製鉄堺ブレイザーズ」に変更となった。