結果

NFL 01/07 18:00 18 [21] ATLファルコンズ v NOセインツ [20] W 17-48
NFL 12/31 18:00 17 [23] NOセインツ v TBバッカニアーズ [17] W 23-13
NFL 12/22 01:15 16 [20] NOセインツ v LAラムズ [16] L 22-30
NFL 12/17 18:00 15 [27] NYジャイアンツ v NOセインツ [22] W 6-24
NFL 12/10 18:00 14 [32] CARパンサーズ v NOセインツ [24] W 6-28
NFL 12/03 18:00 13 [3] DETライオンズ v NOセインツ [10] L 33-28
NFL 11/26 18:00 12 [18] NOセインツ v ATLファルコンズ [24] L 15-24
NFL 11/12 18:00 10 [15] NOセインツ v MINバイキングス [14] L 19-27
NFL 11/05 18:00 9 [29] CHIベアーズ v NOセインツ [17] W 17-24
NFL 10/29 17:00 8 [23] NOセインツ v INDコルツ [17] W 38-27
NFL 10/20 00:15 7 [6] JAXジャガーズ v NOセインツ [22] L 31-24
NFL 10/15 17:00 6 [15] NOセインツ v HOUテキサンズ [19] L 13-20

ニューオーリンズ・セインツ(英語: New Orleans Saints、略称: NO)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズに本拠地をおくNFLチーム。NFC南地区に所属している。第44回スーパーボウルで優勝している。ホームスタジアムはシーザーズ・スーパードーム。本部と練習施設は、同じルイジアナ州のメテリーに位置している。

History

1970年代まで

1966年11月1日、NFLコミッショナーのピート・ロゼールによって新球団として承認されたことが発表され、1967年に創設された。

1967年、ロサンゼルス・ラムズとのチュレーン・スタジアムで行われた開幕戦でジョン・ギリアムが92ヤードのキックオフリターンTDを決めたが13-27で敗れた。この年チームは3勝11敗に終わった。エクスパンションチームが3勝をあげたのはこの当時のNFL記録であった。

1970年のNFLとAFLの統合を経て(当初NFC西地区に所属)1986年まで20年間地区優勝はおろかプレーオフ出場さえなかった。1979年まで地区2位にさえなることはなかった。その中、QBのアーチー・マニングはプロボウルにも選出された。1979年、1983年とチームは勝率5割を達成したが1987年までのうち残り全てのシーズンは負け越しした。

1970年11月8日、生まれつき右足のつまさきから先のない障害を持ったキッカーのトム・デンプシーがNFL記録となる63ヤードのFGを決めて19-17でデトロイト・ライオンズを破った。この記録は2013年にマット・プレイターが64ヤードのFGを成功させて更新した。

1980年代

1980年、チームは開幕から14連敗した。地元メディアのスポーツキャスター、Buddy Dilibertoが観衆に紙袋をかぶってホームゲームで応援することを提案した。Aintsと書いた紙袋をかぶり目の部分だけくりぬいて観戦するパフォーマンスはその後、NFLだけでなくアメリカのチームスポーツにおいて急速に拡がり不甲斐ないシーズンを送るチームの応援にはしばしば見られるようになった。この年、サンフランシスコ・49ers戦ではハーフタイムを35-7とリードしながら後半ジョー・モンタナに率いられた相手オフェンスを止められずに35-38で敗れるという当時のNFL記録となる28点差のリードからの逆転負けを喫した。

アーチー・マニング(左)はセインツ創設後の初期に活躍したQB

1985年にチームはトム・ベンソンによって購入された。ジム・フィンクスがGMに、ジム・E・モーラ(シアトル・シーホークスのヘッドコーチを務めたジム・L・モーラは彼の息子である)がヘッドコーチとなった。1987年に12勝3敗で創設以来初の勝ち越しを決めてプレーオフに進出した。

1990年代

1990年から1992年までの3年間はドームパトロールと呼ばれたパット・スウィリング、リッキー・ジャクソン、サム・ミルズ、ヴォーン・ジョンソンの4人のLBを中心とした強力なディフェンスでプレーオフに出場した。

1991年には開幕から7連勝した。チームのこの快進撃は、聖者の行進と呼ばれた。エースQBボビー・エイビアが肩の負傷により、7戦目から12月半ばまで欠場した。エイビアが離脱する前、他のチームに3ゲーム差で地区首位だったものの、スティーブ・ウォルシュが先発してから、チームは負け越し、エイビアが最後の2試合に復帰してから連勝、11勝5敗で初の地区優勝を果たした。

ジム・モーラはチームを4回プレーオフに導いたがプレーオフでチームは1勝もできず、3勝13敗に終わる1996年シーズン途中に辞任した。

1997年から元シカゴ・ベアーズのヘッドコーチ、マイク・ディトカ(第20回スーパーボウル優勝経験がある)をヘッドコーチとして迎えたが1997年、1998年とチームは6勝10敗に終わった。1999年のNFLドラフトでディトカはその年の全指名権、翌年のドラフト1巡、3巡指名権と引き替えにワシントン・レッドスキンズからドラフト全体5番目の指名権を獲得、RBリッキー・ウィリアムズを獲得した。しかしこの年チームは3勝13敗に終わりディトカとGMのビル・クハリッチは解任された。

2000年代前半

2000年から2005年まではジム・ハスレットがヘッドコーチとしてチームの指揮を執った。2000年チームは2度目の地区優勝を果たしプレーオフに進出、セントルイス・ラムズを破りプレーオフ初勝利をあげたが翌週の試合でミネソタ・バイキングスに敗れた。GMのランディ・ミューラーはこの年のNFLエクゼクティブ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたが2002年シーズン開幕前にベンソンオーナーによって解任された。

2002年、ヒューストン・テキサンズの加入によって地区の再編が行われた際にNFC南地区に移った。同年3月8日にリッキー・ウィリアムズは2つの1巡目指名権を含む4つのドラフト指名権と引き換えに、マイアミ・ドルフィンズにトレードされた。この年チームは第37回スーパーボウル優勝を果たすタンパベイ・バッカニアーズに2勝したが前年に続きプレーオフを逃した(スーパーボウルチャンピオンに2勝してプレーオフに出場できなかったのは1995年にワシントン・レッドスキンズがダラス・カウボーイズに2勝したシーズン以来のことであった)。

2003年は8勝8敗でプレーオフ進出はならず、2004年は開幕6試合で2勝4敗、12試合終了時点で4勝8敗とハスレットヘッドコーチの首が危うい状況であったが、そこからチームは4連勝し8勝8敗となりプレーオフ争いをしていたラムズ、バイキングスと8勝8敗で並んだ。NFCチームとの成績がラムズが7勝5敗、セインツが6勝6敗、バイキングスが5勝7敗であり、ラムズがワイルドカード1つ目の椅子を手に入れ、セインツとの直接対決を制していたバイキングスがもう1つの椅子を手に入れたためプレーオフ出場を逃した。ハリケーン・カトリーナの被害によって本拠地スーパードームでプレイできなかった2005年、チームは3勝13敗の成績に終わりハスレットは解任された。

ブリーズ時代

2006年から指揮を取るショーン・ペイトンHC

2006年3月14日、セインツは前サンディエゴ・チャージャーズのドリュー・ブリーズと6年契約を結んだ。 2006年3月23日、チームはプレシーズンゲームをシュリーブポート及びミシシッピ州ジャクソンで行うと発表した。4月6日にレギュラーシーズンのホームゲームをスーパードームで行うことが発表され9月25日に行われるマンデーナイトフットボールでのアトランタ・ファルコンズ戦がスーパードームでの2シーズンぶりの試合となった。この試合に23-3で勝利した。観衆は70,003人入りESPNのNFL中継としては過去最高の11.8%の視聴率となりおよそ全米の1085万家庭が視聴した。試合前にはグリーン・デイ、U2がWake Me Up When September Ends、The Saints Are Comingで盛り上げた。12月17日チームはNFC南地区(2002年に新設)を初制覇し3回目の地区優勝を決めた。ショーン・ペイトンヘッドコーチはチーム史上2人目となる就任1年目で地区優勝を果たしたコーチとなった。その後プレーオフ1回戦のシードも決まりディビジョナルプレーオフでフィラデルフィア・イーグルスを27-24で破りNFCチャンピオンシップゲームを決めた。3勝13敗からカンファレンスチャンピオンシップゲームに出場を決めたのは1999年にセントルイス・ラムズが前年の4勝12敗から進出した記録を破るNFL新記録となった。セインツがプレーオフで勝利したのはそれまでワイルドカードプレーオフでの勝利しかなくチャンピオンシップゲーム出場は初のことであった。2007年1月21日に行われた試合で14-39でシカゴ・ベアーズに敗れ第41回スーパーボウル出場はならなかった。

2007年、開幕戦でスーパーボウルチャンピオンのインディアナポリス・コルツに10-41で敗れ、続く3試合に連敗した。開幕4連敗した後、4連勝したが7勝7敗から最後の2試合に連敗し最終的に7勝9敗でシーズンを終えた。

2008年、チームは2009年のドラフト2巡と5巡指名権と引き替えにニューヨーク・ジャイアンツからジェレミー・ショッキー、2009年のドラフト4巡指名権と引き替えにニューヨーク・ジェッツからジョナサン・ヴィルマを補強した。

第44回スーパーボウルでMVPを受賞したドリュー・ブリーズ

2009年に前ワシントン・レッドスキンズのQBチェイス・ダニエルと契約した。この年の4月30日、ベンソンオーナーと地元自治体は少なくとも2025年まではセインツがニューオーリンズに残留することについて合意したことを発表した。この年、チームは開幕から13連勝を果たしパーフェクトシーズンの期待が高まったが第15週にダラス・カウボーイズに敗れ連勝は止まった。シーズンでは結局13勝3敗の成績を残し、NFC南地区優勝。チーム史上初となる第1シードとしてのプレーオフ出場。ディビジョナルプレイオフではアリゾナ・カーディナルスに45-14で勝利。続くNFCチャンピオンシップではミネソタ・バイキングスと対戦。第4クオーター終了時点で28-28の同点となる接戦となったが、コイントスで先攻をとったセインツが延長でFGを決め、31-28で勝利し、チーム史上初のNFCチャンピオンとなった。そして、同時にチーム史上初のスーパーボウル進出を果たし、第44回スーパーボウルではインディアナポリス・コルツを31-17で破り初制覇を果たした。

2010年、地区優勝はアトランタ・ファルコンズに譲ったもののワイルドカードでプレーオフに出場を果たした。プレーオフ初戦はNFL史上初めて負け越したもののプレーオフ出場を果たしたシアトル・シーホークスとの対戦で、セインツが有利と見られていたが36-41で敗れた。

2011年、ブリーズがダン・マリーノが持っていたシーズンパス獲得ヤード記録を破る5476ヤードを投げた。チームは2年ぶりの地区優勝を果たしワイルドカードプレーオフでデトロイト・ライオンズを破ったが、ディビジョナルプレーオフでサンフランシスコ・49ersに32-36で敗れた。シーズン終了後、ディフェンスの強化に貢献のあったグレッグ・ウィリアムズディフェンスコーディネーターがラムズに去り、ラムズのヘッドコーチを務めていたスティーブ・スパヌオーロが後任となった。

2012年、相手選手にけがを負わせるとディフェンス選手が自らプールした資金から報奨金を受け取っていたことが明らかになり、ペイトンヘッドコーチが1年間活動停止処分を、ディフェンス・コーディネーターのウィリアムズが無期限活動停止処分(翌年解除された)を、GMのミッキー・ルーミスが2012年シーズンの最初の8試合の活動停止処分を、アシスタント・ヘッドコーチのジョー・ヴィットが2012年シーズンの最初の6試合の活動停止処分を受けた。また、チームは2012年のドラフト2巡、2013年のドラフト2巡指名権を失った。ジョナサン・ビルマ、アンソニー・ハーグローブ、ウィル・スミス、スコット・フジタの4人も出場停止処分を受けたが、4選手への処分はポール・タグリアブ元コミッショナーの異議裁定で取り消された。この年、ディフェンスが崩壊し、開幕から4連敗し7勝9敗でプレーオフ進出を逃している。

2013年は、開幕から5連勝したが第6週のニューイングランド・ペイトリオッツ戦で残り5秒にトム・ブレイディにTDパスを許し連勝は止まった。ホームでは8戦全勝だったものの、ロードでは3勝5敗と負け越し、地区2位の11勝5敗でシーズンを終え、プレーオフに第6シードで出場した。フィラデルフィア・イーグルスを26-24で破り、ロードでのプレーオフ初勝利をあげた。ディビジョナルプレーオフで第1シードのシアトル・シーホークスと対戦、獲得ヤードでは409対277と上回ったものの、FG2本の失敗、第4ダウンギャンブルが3回中1回成功に終わるなど、要所でシーホークスのディフェンスに抑えられて、15-23で敗れた。

2014年、12月15日のシカゴ・ベアーズ戦で勝利、6勝8敗ながら地区首位に躍り出たが、翌週のアトランタ・ファルコンズ戦に敗れてプレーオフ出場を逃した。2015年と2016年は連続して地区3位に終わり、プレーオフ出場を逃した。

2017年には地区優勝を遂げ、南地区の他2チームとともにプレーオフ出場を果たしたが、ディビジョナル・プレーオフでミネソタ・バイキングスに敗れた。

2018年3月、オーナーのトム・ベンソンが死去して妻のゲイル・ベンソンがオーナーとなった。8月、2019年ドラフト3巡指名権とのトレードでニューヨーク・ジェッツからQBテディ・ブリッジウォーターを獲得した。10連勝を遂げるなど、大差をつけて2年連続で地区優勝を遂げ、コンファレンスでも最高の成績でプレーオフに進んだ。だがコンファレンス・チャンピオンシップでロサンゼルス・ラムズに敗れた。

2019年9月、第2週の試合中ブリーズが右手親指靭帯を痛め、約6週間の離脱となったが3年連続で地区優勝を遂げ、第3シードでプレーオフに進むも、初戦でワイルドカードのミネソタ・バイキングスに敗れた。

2020年、前タンパベイ・バッカニアーズのQBジェイミス・ウィンストンと契約した。4年連続で地区優勝を遂げ、第2シードでプレーオフに進出した。第17週の対カロライナ・パンサーズ最終戦では、RB全員が新型コロナウイルス感染症の感染者・濃厚接触者と認定され、欠場するトラブルに見舞われた。この年からプレーオフ進出チームが各カンファレンス7チームとなったため、第2シードのセインツは、ワイルドカード・プレーオフから登場し、第7シードのシカゴ・ベアーズを破った。しかし、40歳以上のベテランQB対決となったタンパベイ・バッカニアーズ戦(QBトム・ブレイディ)に敗れ、ディビジョナル・プレーオフ敗退でシーズンを終えた。2021年3月14日、ブリーズは引退を発表した。

ブリーズ後

ブリーズが引退した2021年シーズンは様々なトラブルに見舞われた。3試合目のプレシーズンゲームはハリケーン"Ida"により中止となり、シーズン開幕戦はジャクソンビル・ジャガーズの本拠地TIAAバンク・フィールドを借りてホームとして行われた。それでも7試合を終えて5勝2敗と好成績でシーズンを始めたが、その後は負傷およびCOVID-19により多くの選手が欠場して5連敗を喫するなど成績を落とし、12月にはシーズン4人目のスターティングQBとしてルーキーのイアン・ブックを起用せざるを得なかった。最終戦までプレーオフ進出の望みを残したものの、進出はならなかった。2022年1月25日、ショーン・ペイトンが契約を残してHC辞職を表明した。後任にはDCデニス・アレンが選ばれた。2022年3月29日、ベテランQBのアンディ・ダルトンと1年契約を結んだ。

2022年シーズンも負け越してプレーオフ進出は逃した。2023年1月31日、契約を残していたショーン・ペイトンを2023年ドラフトの1巡目指名権、2024年ドラフトの2巡目指名権、さらに将来の3巡目指名権と引き換えにデンバー・ブロンコスに譲渡した。レイダースからFAとなったデレック・カーQBを獲得した。

2023年シーズンは9勝8敗と勝ち越し最終週までプレーオフの可能性を残しながらも逃した。