イングランド リーグ2 | 04/20 14:00 | 45 | サットン・ユナイテッド vs クローリータウン | - | View | |
イングランド リーグ2 | 04/27 14:00 | 46 | ミルトン・キーンズ・ドンズ vs サットン・ユナイテッド | - | View |
イングランド リーグ2 | 04/13 14:00 | 44 | [11] ハロゲートタウン v サットン・ユナイテッド [22] | D | 2-2 | |
イングランド リーグ2 | 04/06 14:00 | 43 | [22] サットン・ユナイテッド v ストックポート [1] | L | 1-3 | |
イングランド リーグ2 | 04/01 14:00 | 42 | [23] サットン・ユナイテッド v スウィンドン [19] | W | 3-1 | |
イングランド リーグ2 | 03/29 15:00 | 41 | [19] サルフォードシティ v サットン・ユナイテッド [23] | W | 1-2 | |
イングランド リーグ2 | 03/23 15:00 | 40 | [24] サットン・ユナイテッド v アクリントン・スタンリー [16] | W | 3-1 | |
イングランド リーグ2 | 03/16 15:00 | 39 | [22] フォレスト・グリーン・ローヴァーズ v サットン・ユナイテッド [24] | W | 0-1 | |
イングランド リーグ2 | 03/12 19:45 | 38 | [5] クルー v サットン・ユナイテッド [24] | L | 1-0 | |
イングランド リーグ2 | 03/09 15:00 | 37 | [24] サットン・ユナイテッド v グリムズビータウン [21] | D | 1-1 | |
イングランド リーグ2 | 03/02 15:00 | 36 | [18] トレンメア v サットン・ユナイテッド [24] | L | 1-0 | |
イングランド リーグ2 | 02/27 19:45 | 27 | [13] ノッツカウンティ v サットン・ユナイテッド [24] | W | 3-4 | |
イングランド リーグ2 | 02/24 15:00 | 35 | [24] サットン・ユナイテッド v コルチェスター [21] | D | 1-1 | |
イングランド リーグ2 | 02/17 15:00 | 34 | [13] ブラッドフォード v サットン・ユナイテッド [24] | L | 1-0 |
Total | Home | Away | |
---|---|---|---|
Matches played | 62 | 31 | 31 |
Wins | 14 | 8 | 6 |
Draws | 18 | 12 | 6 |
Losses | 30 | 11 | 19 |
Goals for | 74 | 43 | 31 |
Goals against | 109 | 42 | 67 |
Clean sheets | 7 | 4 | 3 |
Failed to score | 17 | 8 | 9 |
サットン・ユナイテッド・フットボール・クラブ(Sutton United Football Club)はイングランド、ロンドン南部、サットンを本拠地とするサッカークラブチームである。2022-2023シーズンはEFLリーグ2(4部相当)に所属。
サットンは最初、ローカルリーグに所属していた。1921年にアセニアンリーグ、1964年からはイスミアンリーグに参戦した。1986年にナショナルリーグに昇格した。1998-1999シーズンに再昇格を果たしたが、1年で降格となった。
その後、2004年に創立され、新たに6部相当のカテゴリーとなったナショナルリーグ・サウスに創立年から参戦した。
2015-2016シーズンにナショナルリーグサウスを優勝して、ナショナルリーグへの昇格を果たした。
2020-2021シーズン、サットンは快進撃を見せ、ナショナルリーグ優勝を果たした。これにより、クラブ創立123年目にして初のEFL昇格が実現した。
サットンは複数のカップ戦で結果を残している。前のウェンブリースタジアムで、FAアマチュアカップの決勝を2度、1981年にはFAトロフィーの決勝を戦った(しかし、どの決勝でも破れている)。また、1979年には、アングロ=イタリアン・カップで優勝した。
しかし、サットンはFAカップの「ジャイアントキリング」の業績が最も有名である。1888-1889シーズンのFAカップの3回戦では、当時1部で、多くのスター選手がプレーしていて、前年のFAカップを制していたコヴェントリー・シティを2-1で破った。
2016-2017シーズンのFAカップでは、チェルトナム、AFCウィンブルドン、リーズという上位カテゴリーの3チームを撃破し、クラブ史上初めて5回戦に進出した。
1898年3月5日、サットン・ギルド・ローバーズFCとサットン・アソシエーションFC(旧サットン・セント・バルナバFC)がロビン・フッド・ホテルでの会合で合併に合意し、クラブが結成された。
クラブはクラップハム・リーグなどのジュニア・リーグの成績から地元で評判になった。1910年にはシニアチームになることを決め、サザン・サバーバン・リーグに参加すると、初出場で優勝した。この間チームはいくつかのグラウンドを転々としていた。第一次世界大戦後、現在のスタジアムに活動場所を移してからは、このスタジアムを使用している。
1921年、サットンはアセニアンリーグに参入することになった。チームは上位に食い込むことができず1926年には最下位となったが、リーグから外れることはなかった。 1928年にチームは初めてアセニアンリーグで優勝した。また、1929年と1937年のFAアマチュアカップで2度準決勝に進出した。
第二次世界大戦中、サットンは小規模ながらもサッカーを続けた。戦争中、アセニアンリーグは中断されていたため、組織的な大会はほとんどなかったが、時々開かれた大会でサットンは結果を残した。終戦を迎えリーグが再開された1945-46シーズンは、チャーリー・ヴォーンの42ゴールという活躍もありサットンが優勝した。またこの年のサリー・シニアカップで初めて優勝し、FAカップ1回戦に進出した。
1950年代、サットンは大会ではほとんど成功を収めることができなかったが、ピッチ外でのチームは進歩していたといえる。当時としては珍しく資産が有限会社に移された。またメインスタンドが建設され、現在では700人以上の観客を収容している。ジョージ・スミスが監督に就任してからは、1958年にアセニアンリーグで3度目の優勝を果たし、ロンドン・シニアカップでも初めて優勝するなど結果を残した。好調は60年代に入っても続き、シド・カンの下でサットンは結果を積み重ねた。1963年にクラブはFAアマチュアカップで決勝まで勝ち進んだが、ウィンブルドンFCに4-2で敗れた。