ペルー リーガ1 | 04/27 22:30 | 13 | クスコFC vs シエンシアーノ | - | View | |
ペルー リーガ1 | 05/03 23:00 | - | シエンシアーノ vs ウニオン・コメルシオ | - | View |
ペルー リーガ1 | 04/20 01:00 | 12 | [5] シエンシアーノ v デポルティーボ・ガルシラーソ [16] | L | 0-2 | |
ペルー リーガ1 | 04/12 20:00 | 11 | [10] スポルトワンカヨ v シエンシアーノ [5] | W | 1-2 | |
ペルー リーガ1 | 04/07 00:30 | 10 | [6] シエンシアーノ v UTCカハマルカ [14] | D | 1-1 | |
ペルー リーガ1 | 03/30 21:45 | 9 | [8] FBCメルガール v シエンシアーノ [4] | L | 2-0 | |
ペルー リーガ1 | 03/13 23:30 | 8 | [4] シエンシアーノ v アリアンサリマ [5] | W | 2-1 | |
ペルー リーガ1 | 03/09 18:15 | 7 | [14] アトレティコグラウ v シエンシアーノ [5] | D | 1-1 | |
ペルー リーガ1 | 03/04 00:00 | 6 | [5] シエンシアーノ v カルロス・マンヌッチ [18] | D | 2-2 | |
ペルー リーガ1 | 02/26 20:00 | 5 | [11] CD Los Chankas v シエンシアーノ [6] | W | 1-2 | |
ペルー リーガ1 | 02/18 22:00 | 4 | [9] シエンシアーノ v スポーツボーイズ [13] | W | 3-2 | |
ペルー リーガ1 | 02/10 00:00 | 3 | [6] シエンシアーノ v スポルティング・クリスタル [1] | D | 2-2 | |
ペルー リーガ1 | 02/03 20:00 | 2 | [17] ADタルマ v シエンシアーノ [7] | D | 1-1 | |
ペルー リーガ1 | 01/28 01:00 | 1 | [8] シエンシアーノ v コメルシャンツ・ウニドス [9] | W | 1-0 |
Total | Home | Away | |
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Matches played | 41 | 24 | 17 |
Wins | 14 | 9 | 5 |
Draws | 14 | 10 | 4 |
Losses | 13 | 5 | 8 |
Goals for | 53 | 30 | 23 |
Goals against | 56 | 25 | 31 |
Clean sheets | 11 | 8 | 3 |
Failed to score | 11 | 6 | 5 |
クルブ・スポルティーボ・シエンシアーノ(スペイン語: Club Sportivo Cienciano)はペルー・クスコに本拠地を置くサッカークラブ。シエンシアスCienciasは「科学」を意味するスペイン語である。メルガルとレアル・ガルシラソとデポルティーボ・ガルシラソに対して長い間ライバル意識を持っている。
1901年、クスコ大学理学部(Colegio Nacional de Ciencias)の学生らによって創設され、地域のリーグ戦やトーナメント戦などに参戦した。1966年、クトゥトゥと呼ばれたエクトル・ラドロン・デ・ゲバラ(Héctor Ladrón de Guevara)はクラブ史上初めてペルー代表のキャプテンを務めた。1972年にはプリメーラ・ディビシオンが開始されたが、シエンシアーノは4年後の1976年に降格した。1988年、ペルーサッカー協会はシエンシアーノに南部地区リーグでプレーするよう求めた。1991年には南部地区リーグで優勝し、1992年には再びプリメーラ・ディビシオンに参戦した。1994年には降格の危機に陥ったが、トップリーグに残留を果たした。
2003年のコパ・スダメリカーナではフレディ・テルネーロ監督に率いられて優勝を果たした。ペルー/ペルー予選ではペルー王者のスポルティング・クリスタルを破り、その後はアリアンサ・リマ(ペルー)、CDウニベルシダ・カトリカ(チリ)、コパ・リベルタドーレスでの優勝経験があるアトレティコ・ナシオナル(コロンビア)、コパ・リベルタドーレスで2度の優勝経験があるサントスFC(ブラジル)を破って決勝に進出した。ペルーのクラブが国際大会の決勝に進出したのは1972年のウニベルシタリオ・デポルテスと1997年のスポルティング・クリスタル(いずれもコパ・リベルタドーレス)以来であり、史上3度目の出来事であった。
決勝では南米屈指のビッグクラブとして知られるCAリーベル・プレート(アルゼンチン)と対戦し、ブエノスアイレスで行われたファーストレグでは3-3と引き分けたが、ホームではカルロス・ルーゴのフリーキックから決勝点を挙げ、2試合合計4-3でCAリーベル・プレートを破って優勝を決めた。本拠地のエスタディオ・ガルシラソの収容人数不足を南米サッカー連盟(CONMEBOL)に指摘されたことから、このセカンドレグは本来FBCメルガールの本拠地として使用されているアレキーパで行われた。過去に国際大会の決勝に進出したペルーのクラブはともに準優勝に終わっており、シエンシアーノはペルーで初めて国際大会を制覇したクラブとなった。2004年のレコパ・スダメリカーナ(南米におけるUEFAスーパーカップのような大会)では、前年のコパ・リベルタドーレスを制して出場権を獲得したボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)をアメリカのフォートローダーデールで破って優勝した。ボカ・ジュニアーズもやはり南米の巨人として知られるが、120分を1-1で終えた後のPK戦を4-2で制してタイトル獲得を決めた。
シエンシアーノはプリメーラ・ディビシオンで年間優勝を飾ったことがない。2001年にはシーズン優勝を果たしたが、年間王者を決める優勝決定戦ではPK戦の末にアリアンサ・リマに敗れている。2006年も同様であり、再び優勝決定戦でアリアンサ・リマに敗れた。2006年から2008年には毎年コパ・リベルタドーレスに出場しているが、いずれもセカンドラウンド(グループステージ)で敗退した。