イタリア セリエA | 04/21 18:45 | 33 | モンザ vs アタランタ | - | View | |
コッパ・イタリア | 04/24 19:00 | 2 | アタランタ vs フィオレンティーナ | - | View | |
イタリア セリエA | 04/27 16:30 | 34 | アタランタ vs エンポリ | - | View | |
イタリア セリエA | 04/28 14:00 | - | アタランタ vs エンポリ | - | View | |
UEFAヨーロッパリーグ | 05/02 19:00 | 2 | マルセイユ vs アタランタ | - | View | |
イタリア セリエA | 05/04 16:30 | 35 | サレルニターナ vs アタランタ | - | View |
UEFAヨーロッパリーグ | 04/18 19:00 | 3 | アタランタ v リバプールFC | L | 0-1 | |
イタリア セリエA | 04/15 18:45 | 32 | [6] アタランタ v ヴェローナ [17] | D | 2-2 | |
UEFAヨーロッパリーグ | 04/11 19:00 | 3 | リバプールFC v アタランタ | W | 0-3 | |
イタリア セリエA | 04/07 16:00 | 31 | [17] カリアリ v アタランタ [6] | L | 2-1 | |
コッパ・イタリア | 04/03 19:00 | 2 | フィオレンティーナ v アタランタ | L | 1-0 | |
イタリア セリエA | 03/30 11:30 | 30 | [7] ナポリ v アタランタ [6] | W | 0-3 | |
イタリア セリエA | 03/17 17:00 | 29 | アタランタ v フィオレンティーナ | - | PPT. | |
UEFAヨーロッパリーグ | 03/14 20:00 | 4 | [1] アタランタ v スポルティング [2] | W | 2-1 | |
イタリア セリエA | 03/10 17:00 | 28 | [2] ユヴェントス v アタランタ [6] | D | 2-2 | |
UEFAヨーロッパリーグ | 03/06 17:45 | 4 | [2] スポルティング v アタランタ [1] | D | 1-1 | |
イタリア セリエA | 03/03 17:00 | 27 | [6] アタランタ v ボローニャ [4] | L | 1-2 | |
イタリア セリエA | 02/28 19:45 | 21 | [1] インテル v アタランタ [5] | L | 4-0 |
Total | Home | Away | |
---|---|---|---|
Matches played | 59 | 30 | 29 |
Wins | 33 | 22 | 11 |
Draws | 10 | 3 | 7 |
Losses | 16 | 5 | 11 |
Goals for | 124 | 78 | 46 |
Goals against | 64 | 24 | 40 |
Clean sheets | 21 | 14 | 7 |
Failed to score | 9 | 3 | 6 |
アタランタ・ベルガマスカ・カルチョ(Atalanta Bergamasca Calcio)は、イタリアのロンバルディア州ベルガモを本拠地とするサッカークラブである。チーム名のアタランタとはギリシア神話のアタランテーのこと。
レストランでの会合がきっかけとなって、1907年10月17日、ジノとフェルッチョのアマティ兄弟、エウジェニオ・エリオ、ジョバンニ・ロベルティ、アレッサンドロ・フォルリニの5人の男達によって創設された。この頃のユニフォームの配色は白と黒。戦争などの中断期間を経た後、1920年の全国選手権はベルガモから出場できるのは1チームだけという規定があったので同じ市内のライバルチームであるベルガマスカとブレシアで試合をおこない2-0と破った後、4月4日にベルガマスカと合併。この時にユニフォームの配色がアタランタの黒とベルガマスカの青を組み合わせて青黒になった。
定評ある選手育成においては、ロベルト・ドナドーニ、ドメニコ・モルフェオら、数々の優秀な選手を輩出している。ビッグクラブで出場機会の少ない有望な若手などの有力な(レンタル)移籍先ともなっている。フィリッポ・インザーギが得点王を獲得し、スターダムへ駆け昇るきっかけとなったクラブでもある。またマルチェロ・リッピ、チェーザレ・プランデッリ、フランチェスコ・グイドリンなど優れた指導者を輩出するクラブでもある。1999年から2003年まで、下部組織からチーム作りに携わってきたジョヴァンニ・ヴァヴァッソーリが監督を務めた。2004-05シーズンにアンドレア・マンドルリーニの下でセリエAに昇格したが、同シーズン終了時に降格となった。
2006-07シーズンはセリエA昇格1年目ながら8位に食い込んだ。2007年夏には昇格と残留の立役者であるステファノ・コラントゥオーノ監督がUSチッタ・ディ・パレルモに引き抜かれ、ルイジ・デルネーリ監督を招聘した。財政難からDFシモーネ・ロリア、MFジュリオ・ミリアッチョ、FWニコラ・ヴェントラなどの主力選手を手放すこととなったが、司令塔のクリスティアーノ・ドニの引き留めに成功した。最終ラインを高く保ち、ボールを素早くつなぐカウンターで9位に入り、難なく残留を決めた。
2008年夏にはDFモリス・カロッツィエーリやFWアントニオ・ランジェッラなどの主力を売却し、その穴埋めとしてMFハイメ・バルデスやFWクリスティアン・ビエリを移籍金なしで獲得した。さらにMFルカ・チガリーニ、MFアレッシオ・チェルチなど期待の若手も加え、フロントの優秀さを際立たせることとなった。
2008-09シーズンはFWセルジオ・フロッカリがキャリア初の二桁得点を記録し、36歳になったクリスティアーノ・ドニが9得点5アシストの活躍を見せ、11位でシーズンを終えた。
2009年夏にはエースのセルジオ・フロッカリとプレーメーカーのルカ・チガリーニを合わせて約32億円で売却したが、その1/4程度の値段でFWロベルト・アクアフレスカ、MFエドガル・バレットを獲得して穴を埋めた。サンプドリア監督に転身したルイジ・デルネーリ監督に代わってアンジェロ・グレグッチ監督が就任したが、前回のセリエA挑戦(2005年、USレッチェ)の際は5試合で解任されているため、手腕を疑問視する声もあった。開幕から不振が続いたため、9月21日にグレグッチ監督を解任し、アントニオ・コンテ監督を招聘した。しかしコンテはチームを立て直すことが出来ず、2010年1月7日に辞任。1月11日、ボルトロ・ムッティが新監督に任命されたものの、18位でセリエB降格となった。
コラントゥオーノ監督が復帰した2010-11シーズンは、セリエBで優勝し1年でセリエA復帰を決めた。2011-12シーズンは2011年8月9日、下部リーグの八百長に関与したとして、勝ち点が6減点され、キャプテンのクリスティアーノ・ドニに3年半の出場停止処分が下された。しかし最初の3試合で勝ち点7を獲得し、ペナルティを早々に帳消しにした。最終的には12位に入り、難なく残留を決めた。八百長スキャンダルの影響でやはり勝ち点減点2からのスタートとなった翌2012-13シーズンも、代表に初招集されたジャコモ・ボナヴェントゥーラの活躍もあり、序盤戦でACミランやインテルを撃破。15位で2年連続のセリエA残留を果たした。
以降はセリエA定着と中位を目指すシーズンが続いていたが、2016年に就任したジャン・ピエロ・ガスペリーニが3バックを軸に対戦相手によって中盤と攻撃陣を柔軟に変化させるシステムを採用し、快進撃を披露。さらにロベルト・ガリアルディーニ、マッティア・カルダーラ、レオナルド・スピナッツォーラ、アンドレア・コンティなど下部組織出身を含む多くの若手選手が台頭した。2018-19シーズンはサパタが23ゴール、イリチッチが13ゴールとツートップが好調を維持し、冬の移籍市場で選手の引き抜きにあいながらもナポリ、インテル、ASローマなどの上位陣を撃破。クラブ史上最高となる3位でシーズンを終え、クラブ史上初となるUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
2019-20シーズン、UEFAチャンピオンズリーグでは3連敗でスタートしたが、その後は勝ち点を重ね大逆転で決勝トーナメントに進出、決勝トーナメント1回戦のバレンシアCF戦ではファーストレグを4-1、セカンドレグではイリチッチが4ゴールを挙げ4-3とそれぞれ勝利、2戦合計8-4としクラブ史上初の準々決勝に進出した。一発勝負となった準々決勝では、パリSGを相手に90分までリードするも、その後2得点を許しベスト8で敗退した。
2020-21シーズン、12月頃にキャプテンのアレハンドロ・ゴメスとガスペリーニ監督との不仲が表面化。ゴメスは冬の移籍市場でセビージャFCに放出された。
2021-22シーズン、主力選手のGKピエルルイジ・ゴッリーニとDFクリスティアン・ロメロの両名がトッテナム・ホットスパーFCに移籍。ウディネーゼからGKフアン・ムッソ、ユヴェントスからDFメリフ・デミラルの両名を獲得してその穴を埋めた。しかし、パプ・ゴメスという大黒柱を失ったアタランタは当時パフォーマンスが低調気味だったイリチッチに復調を期待したが全盛期のようなプレーはできずチームは8位でそのシーズンを終えた。
22−23シーズン、ホイルンドやルックマン、エデルソンなど積極的補強でチーム全体の復調を図ったガスペリーニ。