フランス リーグ・アン | 04/26 19:00 | 31 | モンペリエ vs ナント | - | View | |
フランス リーグ・アン | 05/03 17:00 | 32 | トゥールーズ vs モンペリエ | - | View | |
フランス リーグ・アン | 05/11 19:00 | 33 | モンペリエ vs モナコ | - | View | |
フランス リーグ・アン | 05/18 19:00 | 34 | RCランス vs モンペリエ | - | View |
フランス リーグ・アン | 04/21 13:00 | 30 | [9] ランス v モンペリエ [13] | W | 1-2 | |
フランス リーグ・アン | 04/14 13:00 | 29 | [18] クレルモンフット v モンペリエ [13] | D | 1-1 | |
フランス リーグ・アン | 04/07 13:00 | 28 | [13] モンペリエ v ロリアン [16] | W | 2-0 | |
フランス リーグ・アン | 03/31 13:00 | 27 | [13] ルアーヴル v モンペリエ [14] | W | 0-2 | |
フランス リーグ・アン | 03/17 19:45 | 26 | [14] モンペリエ v PSG [1] | L | 2-6 | |
フランス リーグ・アン | 03/08 20:00 | 25 | [5] ニース v モンペリエ [16] | W | 1-2 | |
フランス リーグ・アン | 03/03 14:00 | 24 | [15] モンペリエ v ストラスブール [13] | D | 2-2 | |
フランス リーグ・アン | 02/25 19:45 | 23 | [9] マルセイユ v モンペリエ [15] | L | 4-1 | |
フランス リーグ・アン | 02/18 14:00 | 22 | [15] モンペリエ v メス [17] | W | 3-0 | |
フランス リーグ・アン | 02/11 16:05 | 21 | [13] モンペリエ v リヨン [15] | L | 1-2 | |
フランスカップ | 02/07 19:30 | 4 | モンペリエ v ニース | L | 1-4 | |
フランス リーグ・アン | 02/03 16:00 | 20 | [9] レンヌ v モンペリエ [12] | L | 2-1 |
Total | Home | Away | |
---|---|---|---|
Matches played | 43 | 19 | 24 |
Wins | 15 | 3 | 12 |
Draws | 13 | 9 | 4 |
Losses | 15 | 7 | 8 |
Goals for | 68 | 23 | 45 |
Goals against | 62 | 29 | 33 |
Clean sheets | 13 | 7 | 6 |
Failed to score | 10 | 5 | 5 |
モンペリエ・エロー・スポール・クリュ(Montpellier Hérault Sport Club)は、フランス・モンペリエを本拠地とするサッカークラブチーム。
1919年、Stade Olympique de Montpellier(SOモンペリエ)として創設。1927年にSports Olympiques Montpellierainsと名称を変更する。1929年にカップ戦で初優勝、1932年にプロチームとなる。1937年に発足当初のチーム名に戻している。
1969年、プロチームが廃止され、翌年Montpellier-Littoral FCとして再出発する。1974年、AS Pailladeと合併し、Montpellier La Paillade SCと改名する。1978年に再びプロチームとなり、1989年に現在の名称に変更された。
1980年代後半から1990年代の全盛期にはクラブ歴代最多得点者のローラン・ブランが在籍し、1989-90シーズンにはクープ・ドゥ・フランス優勝、1991-92シーズンにはクープ・ドゥ・ラ・リーグ優勝を果たした。1989-90シーズンには1シーズンだけエリック・カントナが在籍し、1988年から1991年にはカルロス・バルデラマも在籍していた。また、2003-04シーズンには日本人の廣山望が所属していた。
2008-09シーズン、ローラン・クルビ監督に導かれたチームは5シーズンぶりのリーグ・アン昇格を果たした。昇格初年度の2009-10シーズンには、エミル・スパヒッチやアルベルト・コスタなどリーグ・アンでは無名の選手たちが躍動し、シーズンの半分以上の期間をUEFAチャンピオンズリーグ出場圏内の3位以内で過ごすなど、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得する5位という好成績で終えた。2010-11シーズンには年間シーズンチケットの購入者数がクラブ史上初めて1万人を超え、ホームゲームでの平均観客数は2シーズン連続で1万5000人を超えた。リーグ戦では14位に終わったが、クープ・ドゥ・ラ・リーグでは準決勝でパリ・サンジェルマンFCを破り、決勝でオリンピック・マルセイユに敗れたものの準優勝を果たした。2009年に就任したルネ・ジラール監督は若手を積極的に抜擢し、就任後にユネス・ベランダ、カリム・アイ=ファナ、アブデルアミド・エル・カウタリ(いずれもモロッコ代表)やマプ・ヤンガ=ムビワ(フランス代表)をA代表に送り出している。
2011-12シーズンの年間予算はわずか3500万ユーロ(約38億5000万円)であったが、ジラール監督はジャメル・サイヒ、ヤンガ=ムビワ、ベランダなど下部組織出身の若手と、ジョフリー・デルニスやイウトンなどのベテランと巧みに融合させた。守備時は4-1-4-1もしくは4-4-1-1、攻撃時は4-3-3フォーメーションを基調とし、手数をかけないサイドからの速攻を徹底。2節でリーグ王者リールを撃破すると、開幕3連勝(8得点1失点)で首位に立ち、その後も1節を除いて2位以内をキープし続けた。年明けにはパリ・サンジェルマンとの一騎討ちの様相を呈し、2012年2月19日に行われた直接対決は引き分けに終わったが、29節のASサンテティエンヌ戦の勝利で同勝ち点ながら首位に浮上すると、37節のリール戦(1-0)は94分の決勝点で勝利し、前シーズンの王者相手にダブル(ホーム&アウェーともに勝利)を達成して優勝に近づいた。引き分け以上で優勝が決定する最終節は20分にAJオセールに先制されたものの、ジョン・ウタカの2得点で逆転勝利して優勝を決めた。1990年のクープ・ドゥ・フランス以来のタイトル獲得であった。オリヴィエ・ジルーは21得点で得点王に輝き、ヤンガ=ムビワを中心とした守備陣はリーグ最少失点に抑えた。また、ベランダが選手組合(UNFP)選出の最優秀若手選手賞を受賞し、ジラール監督が最優秀監督賞を受賞した。